ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

女性向け風俗キャスト兼売り専ボーイのブログ

将来の不安について。

これがですね、よく訊かれるんですよ。確かに公務員を辞めて風俗店を掛け持ちして、バンドをやっててシェアハウスに住んでアッパラパーな生活をしているので側から見れば将来に楽観的過ぎると感じるのも無理ないなと思います。仮に俺が、自分と全く同じステータスの人物に邂逅したら「あー、コイツはちょっとアカン奴やな」って思いそうですし。

ただですね、俺は虚勢を張ってるとかじゃなくて、将来に特別な不安を感じていないんです。その理由は大きく分けて3つほどあります。

①数十年後の世界を予想出来る想像力がない

②数ヶ月先の事しか考えてない

③往々にして何とかなる(気がする)

 

それらの順を追って説明しましょう。

①数十年後の事を予想出来る想像力がない

例えば、第二次世界大戦中は「お国のために死ぬべき」とか言ってた人が終戦玉音放送以降は戦後民主主義に染まったり、ロマノフ王朝ソ連になったり、コロナ禍でマスクが半ば必需品になったり、正直言って数年先の未来でさえ予想できないじゃないですか。そして根本的に、将来(≒未来)が存在するかさえわからんのですよ。我々は言語によって「将来」とか「未来」みたいなのが恰も確実に存在するかのように話し、振る舞うけど、そんなのはまやかしであって実存的な確信は無い訳ですよね。そもそも、「未来」が「来る」とか「ある」って表現として相当意味不明だと思います。

例えば大賢者とかシャーマンみたいな人が予言めいた事を言ったとしても、俺は確実に予想もできない事物に対して心配をする能力が備わっていないのです。それは短絡的な思考かも知れないけど、俺の性格上そうなってしまうのですね。

②数ヶ月先の事しか考えてない

俺は遠い将来の事は全くわからないけれど、例えば1ヵ月先の生活であれば少しばかりの仮説を立てる頭はある訳です。それは今の自分の立ち位置だったり、やりたい事や世情なんかを脳内に羅列して、何となく帰納的に「来月はこんな感じなんじゃなかろうか」って程度ですけど。

ちなみに今は、レコーディング/引っ越し/シーシャ屋でも少し働きたい/福岡出張/家具を買う/etc...辺りが頭の中にあります。なので、「まぁ来月はレコーディングに一回入って、物件決めて引っ越して週に2日くらい働ける良さげなシーシャ屋さんでも探してるんだろうな」みたいな事はわかるんですね。

それじゃあ今日何をすべきかって演繹的に何となくわかるじゃないですか。今の俺だったら、コーラスの練習とかブログを書くとか宣材写真を撮るとか安い家具を探すとかです。それを毎日少しずつアップデートしていけば自ずと時間が過ぎていきます。「将来」なんてもんはいきなり眼前にボンと現れるんじゃなくて、「今この瞬間の成れの果て」なんだから、あるかもわからない将来を憂いているよりは自分が置かれている「今現在」を少しずつどうにかしていった方が良いんじゃないのと思います。なので俺は今月とか、長くても数ヶ月先の事しかほぼ考えていません。そうすると、不思議と「漠然とした将来への不安」みたいなのは考えないんですよね。俺の性格的な問題かも知れないけど。

③往々にして何とかなる(気がする)

これを言ってしまうと身も蓋もないですが、何とかなる気がしちゃうんですよ。勿論、不治の病を患ったり、不慮の事故に遭う可能性もあるので、その時は腹を括って諦めるしかないのですが、それ以外のパターンだったら何とかなる気がしています。

幸か不幸か日本に生まれた以上は日本のセーフティネットに絡みとられる訳で、(精神的なものは別にして)構造的には何とかなるんですよ。公務員だった頃に、「失業して街場でホームレスになった場合」「疾走する場合」「山の中で生活する場合」等々と状況を仮定して、それぞれについて書籍やネットで調べました。すると生保を受けるにしろ、非合法的な生活をするにしろ、サバイバル生活をするにしろ、どのパターンでも(現行の憲法化で、且つ隕石が落ちて来ない限りは)何とかなる事に気付きました。つまり「とりあえず死にはしない」って事です。

そうと決まれば「やりたい事を出来ない不安」を如何に解消するかを主軸に置いた生活をした方が精神衛生上良いと考えました。

まぁアレです、すっごい雑にまとまると、「長期的な未来なんか分からん以上、とりあえず今できる事を頑張るぜ。そしたら将来への不安は不思議と感じないんだな」って結論です。

今はそんな感じで生きています。10年後は考え方が変わってるかも知れないけど。