ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

女性向け風俗キャスト兼売り専ボーイのブログ

焼肉とエロスとIQについて。

突然だが論点を整理しよう。近代以前は自由刑(監獄で自由を奪う刑罰)ではなく身体刑(四肢を引き裂くとか)が主流であり、その本質は絶対的な王の権力の見せしめと祝祭であった。そして祝祭とは規範や禁止の乗り越えであり、エロティシズムと深く結びついている。放蕩と言っても良いかもしれない。前者はミシェル・フーコーで後者はジョルジュ・バタイユが言及していた内容である。

こんな文章から始めたのにはモチロン明確な理由がある。

「焼肉とはエロスであり、そうであるが故に我々のIQを著しく低下させパッパラパーにさせてしまう」という説を補完し、論駁不可能なテーゼに昇華させるためである。先ずは「焼肉という行為はエロスである」について説明しよう。

俺は時々1人で焼肉屋に行ってジュウジュウと肉を焼く。側から見ればアラサー男性がせっせと肉を焼き喰らっているだけなのだが、当の本人は心の中で焼かれる肉に向かって「んほーえっちだねぇ」と呟いている。とりわけレバーとコプチャンはえっちである。えっちすぎて公安が乗り込んできたら、その場にいる全員が監獄行き決定である。

さて、皆さんも焼肉屋で肉を焼くシーンを思い描いて欲しい。トングで生の肉を掴み高温の網に乗せ、焼いて喰らう。これは何を意味しているか。そう、まさに近代以前の身体刑に酷似しているのだ。牛さんや豚さんを切り刻み、臓物を引き摺り出した上で火に焚べる。その瞬間、我々は刑罰を下す絶対的な王であり、熟練の処刑人であり、その祝祭的瞬間を見物する民衆になるのだ。これはブチ上がる。まさに三位一体であり非常にえっちである。

詰まるところ、焼肉という行為は何重にも規範や禁止を乗り越えているのだ。それらがスパイスとなり焼肉は終始一貫して祝祭的でえっちな行為になってしまう。けしからん。

次に後半の「我々のIQを著しく低下させる」部分についてだ。

「焼肉とは祝祭的でありえっちである」、ここから何故IQの低下が導き出されるのかは非常に明白で、焼肉は祝祭的でえっちであるが故に「ディオニュソス的」だからである。「ディオニュソス的」とは、享楽と陶酔を肯定し、現世での生を謳歌する姿勢である。現代社会によって手枷足枷を付けられた情念を解放し、抑圧された内奥性を焼肉という行為は思い出させてくれる。

そんな理性的とは対極の状態ではIQは全く意味をなさず、我々は「今」を徹底的に肯定し、一回限りの生を受け入れて一時的に肉を享楽し陶酔するのだ。つまり肉をサーブされた瞬間からIQをディオニュソスに明け渡し、パッパラパーでLowIQな超人と化す。ぴろぴろー。

以上の理由から、焼肉とはエロスであり、そうであるが故に我々のIQを著しく低下させパッパラパーにさせてしまうのだ。

f:id:spawhite_nao:20201011190731j:image

この画像なんて、俺は見た瞬間にIQが3くらいになっちゃうからね。恐ろしいことやで。