ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

女性向け風俗キャスト兼売り専ボーイのブログ

「自分を持ってる」とか「持ってない」とか

会話の中で、「あの人は自分を持ってるよね」とか「私は自分を持ってないんです」とかって時々出てくるじゃないですか。つい先日も外食してたら「あの子はちゃんと自分を持ってるよね」みたいな会話が聞こえてきたんですよ。その日の夜に布団の中で「自分を持ってる/持ってない人」ってそもそも何なんだろうかと考えたら「結局のところその手の表現って相対的過ぎてあんまり意味なくねぇか」と思ってしまったので、その理由を書きます。

初めに、「自分を持ってる」の類語を調べると、「芯の通った」「信念がある」「周りに流されない」みたいな言葉が出てきました。ざっくりまとめると、「自分の考えや主義主張が確立していて、それを言動に表すことが出来る人」って感じですかね。逆に「自分を持ってない」ってのは「自分の考えや主義主張が確立しておらず、言動に表すことが出来ない人」になるのかなと。つまり付和雷同っぽい人を指す言葉になると思います。

それらを踏まえて、「自分を持ってる/持ってない人」について考えを巡らせると、よく分かんなくなってくる訳です。例えば何かの原理主義者とか、強固に○○主義を推し進めようとするタイプの人が居たとして、その手の人って一部の層からは「あの人ってめっちゃ自分を持ってるよね」って評価されますよね。だってどんな状況でも自分のイデオロギーを曲げないで主張や行動が出来るから。

でもそれって一方では特定のイデオロギーを強固に内面化した結果として、「そのイデオロギーから発せられるであろう言葉」が発言の大半を占めてるとも取れるから、そこにあるのは自分じゃなくてそのイデオロギーなんじゃないかとも思うのです。つまり、言動的には自分を持っているようでいて、実は何かを憑依させてる状態で、その何かを取り除いたら特に意見がないみたいな。

そんで、一般的に「自分を持ってない」と言われる人だって自分の考え自体は持ってるじゃないですか。例えば場の雰囲気に流されて意見がコロコロ変わる人や、自分の意見を上手く言えない人だって、飽くまでも自分で考えた結果(←ここ重要)、その行為に至ってるんだから、別に「自分を持っていない」訳でもないんじゃないかと思うのです。そもそも、「何も考えてない人」なんて脳死状態の人を除いたら居ないだろうし、発言や行動みたいな、その人の内面の発露の一部を判断材料にして「自分を持ってる/持ってない」なんて判断は割と当てにならないんじゃないかと思います。

AさんはBさんにとって「自分を持ってる人」だとしても、Cさんにとっては「自分を持ってない人」かもしれないし、Dさんにとっては「思考パターンがいつも同じの石頭」かもしれないから、その手の評価ってのは本質的なものじゃなくて、一面的かつ相対的じゃないかしらと。

それに「自分を持ってる/持ってない」の観点に囚われすぎると、「自分を持ってる自分」を演出しようとして、結果的に生きづらくなりそうな気がする。どうあがいても人は自分以外にはなれないし、その時点で自分を「持ってる」も「持ってない」も余り意味をなさないでしょう。

ここ最近はそんなことを考えながら生活してました。