ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

女性向け風俗キャスト兼売り専ボーイのブログ

対人関係で気を付けてること

ここ1ヵ月の間に取材的なのを2回受けまして、その時に「お客さんと一緒に居る時に何を気を付けてますか?」みたいな質問をどちらの取材でも訊かれたんですよ。その質問を受けてから、「そういえば俺は何を一番気を付けてるのかしら」と考えるようになって、その時にはパッと返答できずに心の中で引っかかっていた答えが出たのでザックリとまとめてみました。

結論から書くと、「『相手がどんな世界に生きてるか』とか『相手が世界をどう理解しているか(若しくは世界との距離感)』に対してある程度の想像力を働かせる。その上でそれらを相手の実存(≒相手の存在自体)とは切り離して考えて、相手の実存そのものは否定しない」って感じです。

文字にするとなんだか回りくどいから例を出して説明します。先ずは前半の「『相手がどんな〜中略〜想像力を働かせる。」の部分です。

例えば、「アタシ在日とか嫌いだしコロナは世界の富裕層が人口削減の為に仕組んだと思ってるしワクチン打ったら5G電波で操られるしドナルドトランプしか勝たん」ってタイプの人が居たとしましょう。

ある程度(←ここ重要)の想像力を働かせると、彼女は「在日の人はきっと良くない存在で、富裕層は何か天変地異レベルの影響力を持っていて、トランプは救世主足りえる」という世界に住んでいて、さらにこの世界には何処か因果のような作用が漂っていると理解しているように見受けられます。ちなみに「ある程度」を強調したのは、あまりにも想像力を逞しくすると、的外れな決めつけになっちゃう気がするからです。あくまでも「ある程度」です。これが前半の部分です。

次に、 そんな彼女の世界観は俺の世界観とは全く異なるので、きっと会話をしているうちに意見の相違が目立ってくるでしょう。ただ、そこでは変に同調したり話をはぐらかしたりはせずに、普通に「俺はコレコレこういう理由でそう思わないんだけど」みたいなことは普通に言います。反対意見は表明するし、特にそこで忖度したりは全くしないです。

その際に気を付けてるのが、後半部分の「その上で〜中略〜実存そのものは否定しない」って所です。つまり、「その主張をしてる『あなた』が間違ってる(頭おかしい/ダメだ/トンチキだ/etc...)よ」とは言わないって意味ですね。俺が反論や違和感を表明するのは飽くまでも「主張の内容」であって、「あなたそのもの」ではないです。

「実存を否定しない」ってとても大切というか、コミュニケーションを取る上で最低限の礼儀だと思っているので俺は平常運転でそんな感じなのですが、特にネット空間なんかでは相手の主張を乗り越えてその実存までも毀損するような表現って多いじゃないですか。

例えば「(先述したようなネトウヨっぽい主張をしている)○○さんってクソだよな」って表現があったとして、俺としては議論の対象は「主張の内容」であって、○○さんじゃないと思うんですよ。最終的にその個人がクソ人間かどうかなんて超包括的な判断を下せる人なんて恐らく居ない訳です。

そういった観点から、「誰彼の主張」と「誰彼の実存(≒その人の存在自体)」は分けて考えるべきだと思うのです。勿論、俺も人間なので主義主張の好き嫌いはあるけど、その主義主張を乗り越えて一直線に相手の実存を否定する気にはなれないんです。だって相手の存在自体を否定する判断材料を持ってないから。例えばネトウヨだろうが性差別主義者だろうが何だろうが取り敢えず主張と実存を切り離して、「何故にこの人はこういった主張をするのかしら。そしてその『主張に対して』はどうやって自分の意見を述べようかしら」と考えるのが肝要かなぁと。

まぁ早い話が、 相手の意見とか考え方、主義主張と真っ向から対立したり、場合によっては否定することはあるけど、そこから飛躍して相手の存在自体は余程のことがない限り否定しませんよって事です。これはお客さんと一緒に居る時とか関係なしに、自分の対人関係全てに共通している考え方なので、自分にとっては馴染みすぎていて取材のときにはパッと答えられなかったです。とは言え、「何を気を付けてますか?」って訊かれたら、こんなことを気を付けてるぜって話でした。

終わり。