ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

性感マッサージのセラピスト兼売り専ボーイのブログ

卒業を前提とした性風俗利用についての個人的見解

手前味噌ではあるけど、性風俗を利用する理由なんて十人十色で掃いて捨てるほどあることは百も承知ですし、どんな理由で利用しても他人がとやかく言うべき事ではないでしょう。ただ、「卒業を前提として利用する」という意見を聞いた時に「はて、それは一体どう言う事なのか知らん」と思ったのでこの場で一寸考えてみようかなァと思った次第です。

初めに「卒業」とは「学校の全課程を学び終えること」や「ある段階や時期を通り過ぎること」等の意味を表す言葉なので、「卒業を前提とした性風俗の利用」とは「何かしらの目的を持ち、性風俗を一定期間のみ利用する」と言い換えて差し支えないと思います。

さて、そのような動機で性風俗を利用し始めた際に想定されるのは以下の3パターンではないでしょうか。

①当初の目的を達成して卒業する

②途中で退学しちゃう

③入学したけど卒業できない

それではこれから各パターンについて考えていきませう。

①について

これはですね、素晴らしいんじゃないでしょうか。特に言うことも無い気がするんだよね。目的については御仁方々「男性に慣れたい」「彼氏といきなりセックスするのは怖いからその前にワンクッション置きたい」「男性不信を払拭したい」等々おありでしょうけど、そのミッションをクリアして性風俗を利用する理由が無くなった結果として去っていくのであれば、俺としては「グッジョブ、良くやったぜブラザー。達者でな」としか言い様が無いんじゃないか知らんと思います。その調子で人生のPDCAサイクルを上手い具合に回していってもらえれば性風俗従事者冥利に尽きますね。

②について

これについてはですね、諸説ありますね。利用し始めたけれど自分には合わないと判断して辞めるってのは全然オッケーだと思うんですが、初めての利用でとんでもない目にあった結果として「風俗なんて二度と行くかクソ野郎」って状態になってしまうケースはやはり望まれる状態ではないです。昨今、女性向け風俗は店舗数がけっこう増えていて、玉石混交具合が半端ではないと推測できるので、利用する際には「雰囲気が壊れようがなんだろうがやりたくない事は絶対にやらない。何かを強要するのであれば即プレイ中断の上で(社会的に)ぶち殺すファッキュー」という鋼鉄のソウルを胸に秘めて頂きたいです。

目的地に早く到着できる新幹線や飛行機が事故をおこす可能性があるのと同様に、性風俗の利用についても何かの拍子で事故る可能性がある事は頭の片隅に忍ばせておいた方が良いかと思います。この世界に100%安全なサービスはありません。

③について

これについては問題があると思っています。それは、卒業できない事自体ではなくて、「卒業しなければいけない」というメンタル自体にです。つまり、「当初は一定期間で辞めるつもりだったけど未だに利用し続けてる私」に対して罪悪感や嫌悪感を感じることが問題だと思ってます。その根底には「本来ならば性風俗は利用しない方が望ましい」「関係性をお金で買う事の虚しさ」といった思想がもしかしたらあるのかもしれません。

しかしですね、性風俗の利用に良いも悪いも無いと思うんですよね。個人的に、キャストと共有する時間って映画や文学の様な虚構だと思っていて、そうである以上、そこに良し悪しは存在し得ないんですよ。勿論、質の良い文学もあれば出来の悪い映画もあるように、共有した時間の質の良し悪しはあると思いますよ。でも、虚構それ自体に良し悪しや善悪の判断を下そうとするのは有り体に言ってナンセンスじゃないでしょうか。虚構というものはただそこに存在するだけであって、それ以上でもそれ以下でも無いのです(「そもそも虚構が『存在する』って表現は変じゃない?」って意見は胸に仕舞っておけ。これはレトリックの問題なのです)。

そこから思弁を巡らすと、性風俗店のキャストは虚構内存在の非実在青少年であって、その彼(彼女)達と共有する時間それ自体にジャッジを下す事は出来ないんです。そして虚構ってのは綺麗な嘘で出来ていて、俺はそんな虚構が現実以上に愛おしいと感じる時が多くあります。文学にせよ、音楽にせよ、性風俗にせよ、何でもね。この世界は現実だけでは生きづらいじゃん。

それと時々、「関係性をお金で買う」と言った意見がありますが、良く考えてください。関係性をお金で買う事は不可能です。それが可能だと思っている人達は、全てを交換可能だと錯覚させる現在のグローバル資本主義に染まりすぎてしまってると思います。目を覚ましましょう。お客さんとキャストは関係性を売買してる訳では無くて、人生におけるかけがえのない時間を共有してるんですよ。そこんとこよろしくな。

さて、少し長くなりましたけど、要約するとあれですよ皆さん、「勝手に決めた自己規範で自縄自縛になっても良い事なんて何も無いんだし、性風俗を利用するんだったら思い切ってその綺麗な虚構を楽しもうぜ」って事です。

例によって例の如く次のテーマは決まってないですが、また気が向いたら書きます。アデュー。

風俗で働いて病む病まない問題について

ブログを放置してるつもりはないんだけど、気付くと普通に1カ月とか過ぎてる事が多々あるんだよね。時の流れは恐ろしいですな。

さて、今回のテーマはタイトルにある通りで、これはお客さんからも同業(特に男性相手)の人からも結構な頻度で訊かれるんですよ。「風俗業界だけで働いてると病まないの?」とか「お客さんの相手がしんどくて病みそうなんだけどどうしよう」とかなんとか。

結論から言うと俺は全く病まないしその経験もない訳だけど、以下は何故に全く病んだり嫌にならないのかについての理由について、何となく考察してみたので興味のある輩は目を通すよろし。

※これは飽く迄も「俺が病まない理由」であって、普遍的な何かじゃない事は頭に入れて読んでね。マイメロとの約束だお。

 

先ず、主な理由は大きく分けて3つある(気がする)。

 

①既存の競争に回収されないようにする

②やりたくない事はやらない

③逃げ道を用意する

 

これらの理由だけを列挙すると単なる無気力クソ野郎に見えるかもしれないけど、ちゃんとそれぞれ説明するからちょっと待って!!

 

①について

風俗業界ってさ、ルックスとか年齢による序列すげーじゃん。背が高い低い、スタイルが良い悪い、若い若くない、格好良い格好悪い等々、項目を挙げたら枚挙にいとまがない訳だよ。そしてそれら有象無象の要素が絡まりあったピラミッド型のヒエラルキーが出来上がっていて、風俗業界に入ると大体一度はその中に放り込まれるんだよね。

勿論、運営側からしたらその方が楽だと思うよ。例えばデリヘルに「スパホワ子さん」ってキャストがいたとして、その子を紹介する際には「10代」「色黒」「ギャル系」とか、所謂「タグ付け」可能な特徴を言えば何となくお客さんも理解できるから。

でもさ、そんなタグ付けピラミッドの中で競争し続けるのってキツくない?その競争には本質的に終わりがないし、他人と比較を始めたら自分の悪い所ばっかり目がいくようになっちゃうじゃん。加速した資本主義とインターネットによって人間の要素が可視化、タグ付けされてデータベース化された挙句に無責任な評価に晒される既存の競争からはしれっとエスケープした方が気が楽だと思うよ。

時々、会った瞬間にやれ「もっと背が高い方がいい」だの「ぱっちり二重が良い」だの何だの言う人はいるけど、そういう他人の容姿にケチつけて貶めようとする主張に対しては徹頭徹尾ファックオフの姿勢でいいんじゃねぇのかな。本来なら人間は要素でタグ付けできる存在じゃないんだし、「自分は自分だから、ルックスが気に入らないなら来なくて結構でございます」くらいの気持ちでいた方が精神衛生上よろしいと思う。ただし、最低限自分の見た目に気を使うのは大切よ。

 

②について

これは読んで字の如くだけど、手を抜くって意味じゃないからね。ルールに反する事とか我慢を重ねないと出来ないような事までやる必要はないんじゃないのって意味だよ。誤解なきよう。

そんでもって、これには自分を守る他にも意味があるんです。お客さんの中には稀に「お金を貰えるからやってるだけで本当は嫌なんでしょ」的な事を言う人がいるんだけど、そういうタイプの人に「こいつは本当に嫌な事は断るキャストなんやな」って理解してもらえれば逆説的に今やってる行為は嫌なことじゃないってわかってもらえる訳ですよ。

その共通了解というか信頼関係を作る為にも「やりたくない事はやらない」って言ったり態度で示すのは結構大切だと思うんですわ。伝え方は人それぞれだろうから、最適解を示す事は出来ないけれど。それに、やりたくない事を嫌々やってると相手も気付くでしょ。

ホテルの中で奴隷契約を結んでる訳でもないんだし、対等な人間同士で楽しんでいこうぜってことです。

 

③について

これは御仁方々多種多様な事情があるのは想像に難く無いですが、「風俗業が最終手段ではない」ってのを頭の片隅に入れてもいいんじゃないか知らんという事です。借金があるなら債務整理があるし、何かの理由で就業できないなら生活保護も受給できる。本来なら行政のセーフティネットに引っかかるはずの人が止むを得ず風俗で働くってのは最悪のパターンなので、バニラ求人を見て風俗の扉を叩く前に自治体等が主催している弁護士の無料相談会場の扉を叩きましょう。

そうでなくとも、不治の病とかじゃない限り今の日本の法制度的は取り敢えず人は死なないようにできてるから、あんまり視野狭窄に陥らないでゆるくいこうよ。逃げ道なんて幾らでもあるんだから。

 

それと余談だけど、風俗キャストは「性的に消費される」って意見は幻想だと思う。確かに資本主義社会は全ての物事に価値を付与して交換可能にするけれど、そもそも資本主義自体が共同幻想なんだから、その幻想の中で価値を交換した所で本質的に俺からは何も減らないしね。そんなん知らんがなって感じです。

 

俺が病まない理由は何となくこんな感じですね。これらを大雑把に要約すると”Never mind the bolloks.Here’s the SEX PISTOLS ”って事になりますね。以上です。

 

最後まで読んでくれた方々、有難うございました。またのブログでお会いしましょう。

風俗備忘録④(女性向け風俗編・1店舗目の巻)

今回の備忘録は俺が売り専を始めて暫く経ってから女性向け風俗店を探し、記念すべき1店舗目の採用に挑戦するお話です。はじまりはじまり。

 

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時は2018年5月、俺は迷っていた。売り専を始めて暫く経ったということは、非常にクリティカルに考えて次は女性向けにも裾野を広げるべきだという回答は自分の中で出ていたのだが、如何せん店選びの基準が良く分からなかったのだ。

取り敢えず、募集要項に「(売り専を含む)他の風俗店との掛け持ち禁止」と明記されていたり、あまりに高額な登録料を要求するお店は候補から除外したものの、それでも「出張ホスト」とか「性感マッサージ」等で検索すると結構な数のお店が見つかる。しかも厄介な事に、女性向け風俗店には「なんかビビッとくる名前の店」が見つからなかった。そうなってくると俺の良い所であり悪い所である「見切り発車癖」が発動するわけだ。

〜売り専の待機所にて〜

なお「ここ最近さー、女性向けの風俗で働きたいって話してたじゃん?」

ボーイK「あー、そういえばそうだね」

なお「店選びの基準とかよくわかんないから、検索で上の方に出てきたお店に今ここで電話してみるわ」

ボーイK「え?ここで電話するの(笑)?」

なお「うん、なんか今やらないと先延ばしにしそうだし。そこで俺の勇姿を見ててよ」

ボーイK「お、おぅ…」

(電話したお店を便宜的に「A店」とします)

なお「もしもし、HPの求人欄を拝見してお電話差し上げました、世界のちゃんなおと申します。今現在もキャストの求人はしていらっしゃいますか?」

A店「あー、してますよ。他の風俗店で経験はあるの?」

なお「はい。女性向けではないですが、ゲイ向け風俗の売り専で働いています。お店の掛け持ちは問題ないとの事でしたが、そこは大丈夫ですか?」

A店「それは大丈夫だけど。あー、ていうかお兄さんってイケメンなの?」

なお「(え、いきなり何だこいつ…)いや、どうでしょう、特に不細工とかは言われない程度だと思いますが」

A店「そっか、うちは何人もキャストがいるけど、稼げる人と稼げない人の差が激しいんだよ。お客さんは先ず写真を見て判断するから、そもそもイケメンじゃないと厳しいわけ。働くんだったらその辺を理解した上で来てよ」

なお「(なんか横柄な態度だな)そうですか。でもやってみないとわからないので面接には伺いたいです」

A店「あー、わかりました。それじゃあお店のメールアドレスわかるでしょ?そこに、名前、電話番号、住所、身長、体重、年齢を書いて送って。希望の面接日時はある?」

なお「△日でお願いします。時間はいつでも大丈夫です」

A店「それじゃあ、面接は13時からで。その日の面接1時間前になったらこの電話番号に電話して、ちゃんと面接に向かう旨を伝えてください。それと写真付きの身分証明書も持ってきて」

なお「わかりました。それでは当日はよろしくお願いしまする(電話切る)」

ボーイK「どうだった?」

なお「いやー、正直言って感じ悪い人だったわ。いきなり『イケメンなの?』とか訊かないでしょ。でも面接はできる事になったから取り敢えず行ってくる」

ボーイK「変な店じゃないと良いね」

なお「うむ」

 

電話の時点でちょっと不信感を抱いたものの、根が脳内お花畑にできてるので「たまたま変な人が電話に出ただけできっと良い人もいるだろう」と思い直し、言われた通りにメールを送った。

しかしその日の夜になって、面接日を変更してほしいとのメールが入り、「いやいや何でやねん」とか思いつつも幾つか候補日を記載して返信したが、その返事が2日経っても返ってこないのだ。流石に不審に思って電話をすると、「◯日の13時からでお願いします。返信漏れでした」との回答だった(適当かよ)。

それから面接日までの数日間、「この店の運営体制けっこうヤバいのでは?」とか思いつつも、HPのキャスト紹介ページを見て「うほー、ていうかキャスト何十人いるねん。これだけ多いって事は面接であんまり落としてなさそうだな」とか某掲示板を見て「あー、この店って本番やってる人けっこう多いのね。女性向け風俗ってそういうもんなのかな。でも掲示板に書かれてる内容なんてあてにならんしなぁ」とか、最早お店への不信感をスパイスに楽しむ方向へ舵を切っていた。

そして迎えた面接当日、「遂にこれからニューワールドの扉と開けるのか。鬼が出るか蛇が出るかわからんけど、精一杯頑張るんば」と独り言ち、指示通りに面接予定時間の1時間前にお店へ電話をかけた。

 

が、しかし、電話に出ないのだ。

 

数分後にもう一度電話をしたものの、出ない。面接は店舗事務所で行う事は決まっていたので、首を傾げつつも取り敢えず間に合うように出発した。するとさらに数分後に折り返しの電話がかかってきたが電車内だったので、メールで事務所に向かっている旨を伝えると返信が届いた。

「面接ですが、別日にする事は可能でしょうか?」

なんかもう、このお店はダメだなと思った。仮に採用されてもいつかトラブルが起きそうな気がするし、運営に対しての不信感が拭えない気がした。そんな事を電車内で考えていると更にもう一通、当分忘れないであろうメールが入った。

 

「なんかバタバタしちゃって(><)」

↑↑原文ママ、マジでこの1行だけのメールがきた。

 

いやいや、意味分からんでしょ。「なんかバタバタしちゃって」って何やねん。遊ぶ予定をドタキャンする時だとしてももう少しマシな文章書くだろ。

まぁ何と言うか、これ以上考えても無駄な気がしたので、目を半開きにして菩薩の心でもって面接を辞退する旨のメールを入れたのでした。

 

でもそれで結果的にSPA White に辿り着いた訳だしね、ポジティブな判断を下すとしたらめでたしめでたしだよね(お花畑)。まぁあのメールを見た時には結構唖然としたけどね。

ただ1つだけ、たまたまそのマネージャー的な人がちょっとアレなだけだったのか、お店の運営全体がちょっとアレなのかは気になる所であった。しかしそれも今となっては闇の中であるし確かめる気も毛頭ない。

 

fin.

ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ

 

少しだけ予告すると、次の備忘録はまた別の風俗店の面接のお話です。

なんかバタバタしなければその内書くので待て次回(><)

お客様からの感想を載せない理由

おっす、オラ悟空。

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたるって感じでワクワクすっぞ。

 

さて、利用した事のある方はご存知だと思いますが、スパホワイトでは施術前にカウンセリングシートへ要望等を簡単に記入して頂くんですね。そしてそのシートには感想を書く欄もありまして、お客様の了承を得た上でTwitter等に感想をアップするケースがあるんですよ。

し・か・し、俺はその「感想をアップする」という行為を今は一切やってないんです。訊かれる機会がけっこうあるので、今回はその理由について書きたいと思います。

 

いざ参るʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ

 

まぁあれだ、結論から言うと「公開するのがあまり好きじゃない」って理由になっちゃうんだけど、それだと身もふたもない回答になっちゃうから順を追って説明しましょう。主な理由は大きく分けて以下の2つです。

 

①「公開を前提にした感想」は純粋な「感想」とはズレがあるから

②「感想」は人によってあまりにも違うから判断基準に適さない場合がある

 

先ずは①について。

「感想」ってさ、元々の意味は物事について心に感じたことや思ったことじゃん。それを言語化してアウトプットするまでは良いんだけど、その内容を他者が見るか見ないかで書き方が変わってくると思うんだよね。まして、俺がTwitterで公開することを前提に書かれた感想ってのはある程度のバイアスがかかってくる訳じゃん。

学生の頃に書いた「読書感想文」が良い例で、あれは公開されて誰かの評価に晒される事を前提に書くから、純粋な感想ではないんだよね。そもそも、感想を規定のフォーマットに落とし込まなきゃいけない事自体がナンセンスだし、「感想を書くために何かを感じなきゃいけない」ってのが本末転倒な状態なのよ(読書感想文は文章構成を学ぶ為に書くんだよって批判はわかった上で言ってます。悪しからず)。

それだったら、一緒にいる時にでも直接言ってもらった方が嬉しい。まとまってなくても、断片的な言葉でも良いから、直接声を聴かせてくれた方が嬉しい。勿論、何も言わなくても良いけどね。それと、感想を書いてる時間があるなら2人で何か別のことやってたい。あっち向いてホイとか。

畢竟、感想ってのはその人の心の中に仕舞っておくか2人で共有すれば良いものだと思ってるんです。

 

次に②について。

Twitter等に感想をアップするのは、「セラピストを選ぶ際の判断基準にしてもらう」ってのが主な理由の1つだと思うけど、判断基準にするには余りにも頼りない気がするんだよね。

料理や音楽や文学を受容した時の感情が人によって違うのと同様に、ましてや性の場面なんて感じ方が千差万別なのは当然だから、最終的には自分で確かめるしかないと思うのよ。判断基準にするのであれば、SNSの発言内容だったり、女子会等での雰囲気の方が余程良い基準になるんじゃないかな。つまり、「この人がこう感じたんだから自分もこう感じる」訳ではないでしょということです。

 

まぁそんな感じの理由があって、俺はTwitter等に感想を載せない訳ですが、ただ、誤解しないで欲しいのは、例えば外部のHPへの感想の投稿やTwitterで感想を呟いてくれるのはとても嬉しいんです。今回のブログの内容は、飽くまでも「俺がTwitter等に感想を載せない理由」であって、他の人が感想を投稿したり呟いたりする事については一切言及してない点は理解して欲しいです。

 

ちょっと真面目になっちゃったけど、読んでくれて有難う御座います(土下座)。

 

それではまた次回✌︎('ω')✌︎

性行為に対する罪悪感についての試論

なんと前回のブログを書いてからもう1ヶ月も経つんですね。いやー、光陰矢の如しとはよく言ったものですわ。このままだとセックスレスカップルもかくやと言うほどの更新回数になりかねないので、この辺りでゆるりと一発キメたいと思います。

 

さて、今回のテーマは「性行為に対しての罪悪感」ですが、これは「性行為で快楽を感じる事に対しての罪悪感」と言い換えても構いません。要するに、「性」全般に対する罪悪感のことですな。

この類の罪悪感を感じる人が自分の周り(特に女性)に時々居るので、自分なりの見解を書いてみようと思います。これがそういった人達への一助になるかはわかんないけど、参考程度にはなると思うので興味のある人はザッと読んでみてくださいな。

 

先ずは問題設定からです。そもそも「罪悪感」の辞書的な意味は「罪をおかした、悪いことをしたと思う気持ち」を指します。それじゃあ「罪をおかす」や「悪いこと」とはなんぞやと考えると2つのパターンがあると思います。

1つ目は「法治国家に所属する個人が、憲法、法律、その他明文化された諸規則に違反する行為を働くこと」です。これは例えば強姦や管理売春の斡旋等で、まぁ一般的にも理解されやすい事例だと思います。これを便宜的に「パターン1」としましょう。

そして2つ目は「パターン1には含まれない行為であるが自己の規範や倫理観に反する行為を働くこと」になるかと思います。これは例えば、「大学受験に向けて一生懸命勉強をするべきなのに、1日8時間もスマブラをやっている俺ってダメなやつだなぁ。。はぁ死にたい。。」や「セックス・ピストルズに忠誠を誓った生粋のパンクスなのに最近はラブライブ!の曲しか良いと思えない。。エリチ可愛いよエリチ!!はぁ死にたい。。」みたいなやつです。例を挙げると何となく理解してもらえるかと思うのですが、要するに「自己規範との齟齬から生まれる感情」ですね。これを「パターン2」としましょう。

余談だけど国立大学二次試験を控えたそこの君はこんなブログなんか読んでないで今すぐ勉強を再開するように。そう、君のことだよ。君のこと。

閑話休題

ハイブラウな読者の皆さんはお察しの通り、今から向き合うのは「パターン2」の方ですね。「パターン1」については、海よりも深い反省と共に、罪を償って頂ければと思います。以上です。

性に対する罪悪感で「パターン2」に陥ってしまう原因は様々だと推測できますが、主に「親や学校の教育」や「交際相手や友達からの言動」、「性被害にあった」、「宗教の影響」等でしょう。ただ、酷いPTSDみたいな症状を伴う場合はこのブログで扱う範疇を超えているので、その場合は然るべき精神科医や心理カウンセラーに相談するべきかと思います。

しかし原因は何であれ外部からの影響で積み重なった「何となくの罪悪感」、これも結構厄介なもので、一朝一夕に乗り越え可能な感情ではないんですよね。

「罪悪感」という点で自分に照らし合わせると、俺は以前「性行為」ではなく「性行為でお金をもらうこと」に対して罪悪感を感じていた時期がありました。今は全然そんな感情は抱かなくなったのですが、売り専を始めて数ヶ月は罪悪感が心の何処かに棘となって刺さってたのですよ。

それを乗り越えたプロセスを要約すると、「罪悪感を抱く根源を探し、向き合っていたら慣れた。そんでいつのまにか罪悪感はどこかへ消えていた」って感じです。大学生の頃から思想書とかを少し読んでいたので、自分や他人や物事に対して「何で?」「どうしてそう考えるの?」「その理由は?」みたいに問いかける(若干ウザ絡みっぽい)クセがありまして、今回はそれが良い方向に働いた訳です。

手順としてはこんな感じでした。以下、口語体でその時の様子を大まかに再現します。

※たぶん読みにくいと思うので、飛ばし読みで大丈夫です。

 

うーむ、どうやら俺は今罪悪感を感じている。何故だ?性行為に対してお金を貰ったからだ。別に法律違反はしていないし相手から無理やりお金を取った訳でもないんだから罪悪感を感じる必要はない筈だ。しかし今まさに罪悪感を感じている事は否定できない。何故だ?そもそも俺は他人が風俗業でお金を稼ぐ事を悪だとは思っていない。それじゃあ、論理的に考えてそれは自分に対しても同様な筈だ。しかし今現在、自分に抱く感情は他人に抱く感情と異なっている。

それじゃあ、なぜ他人は良くて「自分だけ」がダメなのか?いや少し待て、「他人は良くて自分だけがダメ」とはなんぞや。なぜ「自分」と「他人」で線引きするのか。それは「自分」が「他人」とは違うと考えている証拠だ。何が違う?例えば俺とA君とB君が90分間の性行為で1万円を貰った場合、1万円という価値は少なくとも日本国内においては差が無い筈だ。しかしそこで俺がダメでA君とB君はオッケーなのは、俺が自分自身に対してそこまでの価値を感じていないからだ。そうか、俺は自分に性行為で金銭を得られる価値を認めていないのか。容姿に対しても技術に対してもあまり価値を感じていないんだろう。俺にとっての罪悪感の根源はそこか。

原因がわかったところで、それじゃあ俺はどうしたいんだ?売り専を辞めるか?それとも罪悪感を消し去る方法を考えるか?当然答えは後者だろう。罪悪感なく仕事がしたい。じゃあどうするの?自分の価値が他人と比べて劣ってると考えるなら、その価値を自分で釣り上げるしかないよね。お客さんは少なくとも自分に価値を感じて来てくれてるんだから、これは自分の側の問題だろう。でもどうやって?

仮定ではあるけど、そもそも現代社会における「価値」というのは「対象に幻想を抱くこと」だろう。本質的に言ったら世界が存在しない事と同様に「価値」というものは存在しない筈だ。そこで重要なのは「価値があると思うこと」であって「金額の大小」ではない。つまり、お客さんが2万円をお店に払い、俺が1万円を貰ったという事実に対して、「俺はそれ以上の価値を提供した」という幻想をベタに信じる事が出来れば、罪悪感は無くなる筈だ。そうだ。きっとそうだ。無論これも幻想でしかないが、罪悪感と向き合いながらも自分の思う「価値以上に価値のある接客」をしよう。それでも罪悪感がなくならない場合はまた別の方法を考えるか辞めればいいじゃん。

すぐに罪悪感がなくなる事はないだろうけど、暫くこれを試してみよう。よし、そんな感じでいってみよう。

 

上記のような自問自答を繰り返しながら罪悪感と向き合っていたら、いつのまにか本当に罪悪感がなくなってたんですよ。それは例えば、自転車に乗れるようになってからは乗れなかった時の感覚を思い出せないような感じですかね。

これを読んでる人で性行為に罪悪感を感じてる人がいるかはわかんないけど、その罪悪感の根源に向き合い続ける根気があれば、そのうち乗り越えられると思うから。「きっとあなたは大丈夫」みたいにクソ寒いセリフを言うつもりはないけど、乗り越えられない壁ではないと思うよ。

それと、親でも友達でも交際相手でも、あなたを支配して価値観を無理矢理修正しようとする人がいたら、中指立てながら「ファック、うるせーなこのチンポ野郎、前髪毟ってドブに捨てるぞ」くらいは言って大丈夫だと思います。俺が許すから。

 

最後まで読んでくれたそこの君、センスがあるね。そんじゃあまた次回お会いしましょう。

「なんで公務員辞めたの?」に対しての回答

どうも皆さんこんにちは。SPA White の大阪出張企画に便乗して来週からしれっと大阪に行くので、現地でお会いする方々はどうぞ宜しくお願いしまする。

いつにも増して捻りのないタイトルですが、結構訊かれる事があるのでこの場を借りて説明しようかなぁなんて思います。

 

さて、SPA Whiteの紹介ページやこのブログの過去の記事でも触れている通り、俺は元々公務員だったんですね。区分的には地方公務員の事務職(大卒程度)で、土地区画整理や公共交通、建築指導なんかを担当する都市計画関係の部署に5年間いました。

そもそも何故に公務員を目指したかと言いますと、大学の政治学科で学んだことを活かして社会に貢献する!!とかでは全くなくて、特段やりたい事が無かったからです。そんでもって転勤は面倒だから嫌だし超絶ブラック企業には入りたくないし営業系は多分やる気スイッチがオンにならないから無理そうだし云々、そうやって消去法で考えていった結果、残った選択肢が地元の公務員かフリーターでした。

消極的な理由かもしれませんが事実なのでしゃーないですわな。最終的に、「フリーターよりも公務員になっちゃった方が食いっぱぐれる可能性が低い」というこれまたスーパー消極的な理由により公僕の扉をヘラヘラと叩いたのでした。

因みに「県庁には入ろうとしなかったの?」と訊かれる事もありますが、公務員試験のやる気スイッチがオンになり資料を集め始めた時点で県庁採用試験の願書提出期限が過ぎていたのでダメでしたテヘペロ(別に悔しくなんかないんだからね)。

このブログを読んでいる学生で公務員を目指してる人はいないような気がするけど、まぁ公務員試験以外でも願書関係の提出期限は早めにチェックしようね。お兄さんとの約束だぞ。

 

閑話休題

 

そんな感じで公僕LIFEがスタートした訳ですが、職場の人間関係には恵まれていたと思います。上司や同僚に嫌いな人はいなかったですし、職場の飲み会や組合の旅行なんかも楽しかったです。業務についても、思ってたより残業や休日出勤はあるものの過労死ラインを超えるものではなく、上司に対しても発言しやすかったので精神を病むほどではありませんでした。

これだけ書くと退職するのがクレイジーに思えますが、状況を勘案して精査(←予算編成時の逃げの一手によく使ってた便利な言葉)した結果、以下の3つの問題が眼前に出現したのです。

 

①定年後に全てを賭け過ぎ問題

②先が見えてしまう問題

③死は突然にやってくる問題

 

①定年後に全てを賭け過ぎ問題

これは働き始めて暫くして気づいたのですが、定年後に夢を見てる人多いんですよね。別にそれ自体は良い事だし否定すべきじゃないんですけど、定年後の自分に賭け過ぎて今を犠牲にし過ぎなのではと思ったんですよ。

気づきのキッカケは、年長者が飲み会で頻繁に話す話題の1つに「在りし日の自分と定年後に辿り着くかもしれないユートピア」みたいなテーマが多かったからです。余りに毎回の飲み会で話題が変わり映えしないので、もしや俺はタイムリープ小説の主人公なのではと思いましたもん。まぁ冗談はさておき、「今」の話が余りにも少ないんですよ。そんな状況に沈殿していると頭の中のジョニー・ロットンが「左手の中指を立てながら右手のビール瓶で今を生きてねぇ奴らの頭なんかカチ割っちまえうへへ」と言ってきたのですが、刑法違反はよろしくないので、これは公務員稼業からは物理的に距離を置くしかないなぁとの結論に至ったのです。

 

②先が見えてしまう問題

これは別にサイキックな話ではなくて、単純に30〜40年後の自分が想像できてしまうという意味です。数年毎に部署異動、業務上の小さな波はあるもののそこそこの役職について60歳か65歳で定年、若しくは再雇用みたいな。

普通に考えるとこれは悪くない人生だと思います。健康で文化的な最低限度よりも多少上の生活が可能だし、社会的信用も確保できる。しかしですね、根が天邪鬼にできている自分にはそれがどうにも慊りないんです。行く先の不確定要素が少ないと途端にメンタルが豆腐並みに柔らかくなってあらゆるモチベーションが霧散してしまうんですね。また、根が露悪的にできているので、自分の選択を俯瞰して眺めたときに、個人の生存戦略としての是非よりも、それを小説等の物語の一部として捉えた場合に面白いか否かで判断する癖もあるんですよ。

そんな状況に埋没していると、頭の中の伊藤カイジが「おいっ!!・・・勝たなきゃ誰かの養分っ!!・・倍プッシュだっ!・・っ!!」と言ってくるので、流石に業務中にチンチロはできないものの、またもやこれは公務員稼業からは物理的に距離を置くしかないなぁとの結論に至ったのです。

 

③死は突然にやってくる問題

何となく自分は死なないと思ってませんか?五体満足で生きていると、少なくとも今日や明日、来週なんかには死なないだろうと思って予定をたててるじゃないですか。でもそんな保証って何処にも無いですよね。数秒後に天災や事故で死ぬかもしれないし、明後日辺りにふと死にたくなって自殺する可能性だってゼロじゃないですよね。

身近な人が何人か亡くなって、その時にふと、「『死』ってのはその辺に転がってるもので、普段の生活と地続きのものなんだなぁ」と思ったんです。人が死ぬと葬式で弔いますけど、ああいった儀式って「死」を日常から切り離す作用を持ってると感じますし、それ故に「死」を自分事ではない何かに昇華する事で日常に帰っていけるんだろうなと。

でもさ、今生きてる全員がいつか死ぬのは避けられない運命なんだから、来るかわからない未来に期待するよりも徹頭徹尾「今」を大切に生きた方が良いんじゃないのと思うのです。「俺っていつか死ぬじゃん」て事実を頭の片隅にでもピン留めしといて、今の自分に素直に生きた方が誠実なんじゃねぇかと。

そんな事を夢想していると、頭の中のニーチェが「いいか、『皆んなと一緒に清く正しく美しく』なんてクソみたいなファッキン弱者道徳なんてミキサーにかけてドブに流しちまえよこのチンポ野郎。いい加減素直になれよ」と言ってくるので、まぁそれはそうだわなと膝を打ち、くどいようですがこれは公務員稼業とは物理的に距離を置くしかないなぁとの結論に至ったのです。

 

以上の内容をブラックホールの如き重力でごちゃっとまとめるとですね

蜃気楼のような未来に期待するのではなく、納得できない過去も全部受入れた上で自分に素直に今を誠実に生きようと思ったら公務員辞めちゃってたわ✌︎('ω')✌︎

という事ですね。

余談ですが、両親に事後報告したら久しぶりに怒られたのも今となっては良い思い出です。いやー、辞めちゃったもんはしょうがないよね。それに今でも実家に帰ると両親から怒られるけど実家の犬だけは味方してくれて父母VS俺と犬のダブルスだから勢力的には負けてないしね。

 

そんな感じの理由で退職したのでした。

めでたしめでたし。

 

〜fin〜

男心と女心、或は主語の大きさについての考察

今年に入ってから“Chillwave”や“Glo-fi”なる音楽のジャンルに出会ってその辺りに沼り始めているSPA Whiteのなおです。それ系の音楽が聴けるクラブがあれば教えてください。よろしくお願いします(土下座)。

 

さて、突然ですが皆さんに質問です。男(心)とか女(心)について語るのが好きな人って多くないですか?

「男ってのはさぁ◯◯なんだよ」「女子は◯◯が好きなの」「女心をわかってないよねー」等々、会話の節々に現れる慣れ親しんだフレーズだと思います。しかしそういった場面で根が捻くれ者にできてる俺はどうしてもこう思っちゃうんですよ。

「世界には男女それぞれ35億人以上もいるのにどうしてそんな事を断言できるの?」

って。俺は学者でもなければ精神科医でもないので正確なジャッジはできないですが、昔からその類の発言に違和感を抱いていたんですよね。それは例えば、「日本人って◯◯だよね」とか「AB型の人って◯◯だよね」みたいな言説にも通ずるものがあって、早い話が「個別の対象を安易にカテゴライズする行為」に対して賛同できないんですよ。なので今回は、その違和感を感じる理由について考えたいと思います٩( ᐛ )و

 

①言語の暴力性

風呂敷を広げ過ぎな感じもしますが、俺の見解を聞いてくださいよ奥さん。

先ず、言語ってのは文字であれ声であれ何かを表す象徴じゃないですか。例えば「ヴィトンのバッグ」や「洗濯バサミ」、「ウォーズマンのパロ・スペシャル」って文字を見ると、その対象が頭に浮かびますよね。ここまでは良いのですが、「男」や「心」、「神(偶像じゃないやつ)」等の対象を辞書的な意味を超えて、具体的にありありと頭の中に浮かべる事は出来ないと思います。

しかし、「言語」という象徴を介しての意思疎通においては、実際に事物として存在しない事柄に関しても、事物として存在する事柄と同様に言語化し、それぞれを同列に語ることが可能となるのです。

この現象は、言語の良い点であり悪い点でもあると考えています。事物として存在しない対象をも容易に概念化して語ることを可能にする言語は、「男心」や「女心」のように抽象的な物も、まるでそこに存在するかのように意味を象徴し、我々の中に強制的に入り込んできます。そのように言語が孕んでいるある種の「暴力性」については無自覚ではいけないなぁと思うのです。

つまり、「男心」とか「女心」ってそれ自体を言葉にするのはとても簡単だし、辞書的な意味もすぐにわかるけど、畢竟、それらの本質というかイデアみたいなものなんて何処にも無いんじゃないか知らんって事を言いたいのです。抽象概念の言語化が容易であるが故に、我々は恰もそこにそれらが存在するかのように振る舞うけど、そんなのは話者の思い上がりで、まやかしなんじゃないのって思っちゃうのですよ。

 

②主語が大き過ぎる問題

前提として、人によって思考や行動のパターンは違うし、それ自体を否定する人は余り見たことはありません。しかし何故か「大雑把な括りの主語」で話し始めると「人によって思考や行動のパターンは違う」という前提が途端に崩れちゃう場面って多くないですか。最近は「大雑把な括りの主語」を聞き慣れてきたので余り気にしないですが、やはり冷静に考えるとちょっと変な気がします。

そりゃあ大雑把に括った主語で事物を理解しようとするのは楽だと思いますよ。目の前にいるA子ちゃんの事を理解できない時に「やっぱり女性(女心)は理解できないなぁ」って言っちゃえば終わりですからね。性別を入れ替えても同様です。そこで向き合わなければいけないのは女性でも男性でも男心でも女心でもなく、徹頭徹尾「目の前の他者」であると思います。大き過ぎる主語は問題から目を逸らすのに好都合な言葉ですが、個別の対象と向き合う際には不都合な言葉になるなぁと思います。

当然ですが、完璧な相互理解は不可能でしょう。ただ、不可能な理由は男と女だからじゃなくて単純に自分とは違う他者だからという点は忘れたくないですし、「相互理解の不可能性」を自覚した上で、それでもその他者を受け入れて理解するよう努めるのが大切なんじゃねぇのと。そもそも「男」とか「女」って何処にもいないじゃないですか。男性の◯◯さんとか女性の◯◯さんってのはいますよ。でも「男」や「女」って姿も形も無いんですよね。それなのに「意中の男性を落とすテクニック」とか「女心を掴むコツ」とかが世の中には溢れていて、もう意味がわからんですわよ_(┐「ε:)_

そんな事よりその個人と向き合えばいいじゃん。それだけじゃん。結果を出すのは難しいけど腹をくくれば向き合うこと自体は簡単じゃん。みたいな。

それとですね、「男って◯◯だよね」とか言われた時に◯◯の部分が自分に全く当てはまらない場合なんかは 「世界に一つだけの花 」の代わりに“God save the Queen ”を聴いていた影響で根がおパンクにできているが故に非常にシド・ヴィシャスな気持ちになるんですよ。そんな大きい主語で括られたらたまったもんじゃないですよ。そりゃあプレベをフルスイングしたいお気持ちにもなりますよ。

 

男性向けと女性向け両方の風俗業界で働いている当人がこんな見解なのは些かフラット過ぎると言うか、そこはかとなくアッパラパーな気もしますが、「だってそう思っちゃうんだからしょうがないじゃん」としか弁解できないので、御仁方々色々意見はあるかと存じますが「あぁ、此奴はこういう考え方なんだなぁ」程度に思っといてもらえれば幸いです。

 

それと最後まで読んでくれたそこの君、ありがとな✌︎('ω')✌︎