ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

性感マッサージのセラピスト兼売り専ボーイのブログ

「なんで公務員辞めたの?」に対しての回答

どうも皆さんこんにちは。SPA White の大阪出張企画に便乗して来週からしれっと大阪に行くので、現地でお会いする方々はどうぞ宜しくお願いしまする。

いつにも増して捻りのないタイトルですが、結構訊かれる事があるのでこの場を借りて説明しようかなぁなんて思います。

 

さて、SPA Whiteの紹介ページやこのブログの過去の記事でも触れている通り、俺は元々公務員だったんですね。区分的には地方公務員の事務職(大卒程度)で、土地区画整理や公共交通、建築指導なんかを担当する都市計画関係の部署に5年間いました。

そもそも何故に公務員を目指したかと言いますと、大学の政治学科で学んだことを活かして社会に貢献する!!とかでは全くなくて、特段やりたい事が無かったからです。そんでもって転勤は面倒だから嫌だし超絶ブラック企業には入りたくないし営業系は多分やる気スイッチがオンにならないから無理そうだし云々、そうやって消去法で考えていった結果、残った選択肢が地元の公務員かフリーターでした。

消極的な理由かもしれませんが事実なのでしゃーないですわな。最終的に、「フリーターよりも公務員になっちゃった方が食いっぱぐれる可能性が低い」というこれまたスーパー消極的な理由により公僕の扉をヘラヘラと叩いたのでした。

因みに「県庁には入ろうとしなかったの?」と訊かれる事もありますが、公務員試験のやる気スイッチがオンになり資料を集め始めた時点で県庁採用試験の願書提出期限が過ぎていたのでダメでしたテヘペロ(別に悔しくなんかないんだからね)。

このブログを読んでいる学生で公務員を目指してる人はいないような気がするけど、まぁ公務員試験以外でも願書関係の提出期限は早めにチェックしようね。お兄さんとの約束だぞ。

 

閑話休題

 

そんな感じで公僕LIFEがスタートした訳ですが、職場の人間関係には恵まれていたと思います。上司や同僚に嫌いな人はいなかったですし、職場の飲み会や組合の旅行なんかも楽しかったです。業務についても、思ってたより残業や休日出勤はあるものの過労死ラインを超えるものではなく、上司に対しても発言しやすかったので精神を病むほどではありませんでした。

これだけ書くと退職するのがクレイジーに思えますが、状況を勘案して精査(←予算編成時の逃げの一手によく使ってた便利な言葉)した結果、以下の3つの問題が眼前に出現したのです。

 

①定年後に全てを賭け過ぎ問題

②先が見えてしまう問題

③死は突然にやってくる問題

 

①定年後に全てを賭け過ぎ問題

これは働き始めて暫くして気づいたのですが、定年後に夢を見てる人多いんですよね。別にそれ自体は良い事だし否定すべきじゃないんですけど、定年後の自分に賭け過ぎて今を犠牲にし過ぎなのではと思ったんですよ。

気づきのキッカケは、年長者が飲み会で頻繁に話す話題の1つに「在りし日の自分と定年後に辿り着くかもしれないユートピア」みたいなテーマが多かったからです。余りに毎回の飲み会で話題が変わり映えしないので、もしや俺はタイムリープ小説の主人公なのではと思いましたもん。まぁ冗談はさておき、「今」の話が余りにも少ないんですよ。そんな状況に沈殿していると頭の中のジョニー・ロットンが「左手の中指を立てながら右手のビール瓶で今を生きてねぇ奴らの頭なんかカチ割っちまえうへへ」と言ってきたのですが、刑法違反はよろしくないので、これは公務員稼業からは物理的に距離を置くしかないなぁとの結論に至ったのです。

 

②先が見えてしまう問題

これは別にサイキックな話ではなくて、単純に30〜40年後の自分が想像できてしまうという意味です。数年毎に部署異動、業務上の小さな波はあるもののそこそこの役職について60歳か65歳で定年、若しくは再雇用みたいな。

普通に考えるとこれは悪くない人生だと思います。健康で文化的な最低限度よりも多少上の生活が可能だし、社会的信用も確保できる。しかしですね、根が天邪鬼にできている自分にはそれがどうにも慊りないんです。行く先の不確定要素が少ないと途端にメンタルが豆腐並みに柔らかくなってあらゆるモチベーションが霧散してしまうんですね。また、根が露悪的にできているので、自分の選択を俯瞰して眺めたときに、個人の生存戦略としての是非よりも、それを小説等の物語の一部として捉えた場合に面白いか否かで判断する癖もあるんですよ。

そんな状況に埋没していると、頭の中の伊藤カイジが「おいっ!!・・・勝たなきゃ誰かの養分っ!!・・倍プッシュだっ!・・っ!!」と言ってくるので、流石に業務中にチンチロはできないものの、またもやこれは公務員稼業からは物理的に距離を置くしかないなぁとの結論に至ったのです。

 

③死は突然にやってくる問題

何となく自分は死なないと思ってませんか?五体満足で生きていると、少なくとも今日や明日、来週なんかには死なないだろうと思って予定をたててるじゃないですか。でもそんな保証って何処にも無いですよね。数秒後に天災や事故で死ぬかもしれないし、明後日辺りにふと死にたくなって自殺する可能性だってゼロじゃないですよね。

身近な人が何人か亡くなって、その時にふと、「『死』ってのはその辺に転がってるもので、普段の生活と地続きのものなんだなぁ」と思ったんです。人が死ぬと葬式で弔いますけど、ああいった儀式って「死」を日常から切り離す作用を持ってると感じますし、それ故に「死」を自分事ではない何かに昇華する事で日常に帰っていけるんだろうなと。

でもさ、今生きてる全員がいつか死ぬのは避けられない運命なんだから、来るかわからない未来に期待するよりも徹頭徹尾「今」を大切に生きた方が良いんじゃないのと思うのです。「俺っていつか死ぬじゃん」て事実を頭の片隅にでもピン留めしといて、今の自分に素直に生きた方が誠実なんじゃねぇかと。

そんな事を夢想していると、頭の中のニーチェが「いいか、『皆んなと一緒に清く正しく美しく』なんてクソみたいなファッキン弱者道徳なんてミキサーにかけてドブに流しちまえよこのチンポ野郎。いい加減素直になれよ」と言ってくるので、まぁそれはそうだわなと膝を打ち、くどいようですがこれは公務員稼業とは物理的に距離を置くしかないなぁとの結論に至ったのです。

 

以上の内容をブラックホールの如き重力でごちゃっとまとめるとですね

蜃気楼のような未来に期待するのではなく、納得できない過去も全部受入れた上で自分に素直に今を誠実に生きようと思ったら公務員辞めちゃってたわ✌︎('ω')✌︎

という事ですね。

余談ですが、両親に事後報告したら久しぶりに怒られたのも今となっては良い思い出です。いやー、辞めちゃったもんはしょうがないよね。それに今でも実家に帰ると両親から怒られるけど実家の犬だけは味方してくれて父母VS俺と犬のダブルスだから勢力的には負けてないしね。

 

そんな感じの理由で退職したのでした。

めでたしめでたし。

 

〜fin〜

男心と女心、或は主語の大きさについての考察

今年に入ってから“Chillwave”や“Glo-fi”なる音楽のジャンルに出会ってその辺りに沼り始めているSPA Whiteのなおです。それ系の音楽が聴けるクラブがあれば教えてください。よろしくお願いします(土下座)。

 

さて、突然ですが皆さんに質問です。男(心)とか女(心)について語るのが好きな人って多くないですか?

「男ってのはさぁ◯◯なんだよ」「女子は◯◯が好きなの」「女心をわかってないよねー」等々、会話の節々に現れる慣れ親しんだフレーズだと思います。しかしそういった場面で根が捻くれ者にできてる俺はどうしてもこう思っちゃうんですよ。

「世界には男女それぞれ35億人以上もいるのにどうしてそんな事を断言できるの?」

って。俺は学者でもなければ精神科医でもないので正確なジャッジはできないですが、昔からその類の発言に違和感を抱いていたんですよね。それは例えば、「日本人って◯◯だよね」とか「AB型の人って◯◯だよね」みたいな言説にも通ずるものがあって、早い話が「個別の対象を安易にカテゴライズする行為」に対して賛同できないんですよ。なので今回は、その違和感を感じる理由について考えたいと思います٩( ᐛ )و

 

①言語の暴力性

風呂敷を広げ過ぎな感じもしますが、俺の見解を聞いてくださいよ奥さん。

先ず、言語ってのは文字であれ声であれ何かを表す象徴じゃないですか。例えば「ヴィトンのバッグ」や「洗濯バサミ」、「ウォーズマンのパロ・スペシャル」って文字を見ると、その対象が頭に浮かびますよね。ここまでは良いのですが、「男」や「心」、「神(偶像じゃないやつ)」等の対象を辞書的な意味を超えて、具体的にありありと頭の中に浮かべる事は出来ないと思います。

しかし、「言語」という象徴を介しての意思疎通においては、実際に事物として存在しない事柄に関しても、事物として存在する事柄と同様に言語化し、それぞれを同列に語ることが可能となるのです。

この現象は、言語の良い点であり悪い点でもあると考えています。事物として存在しない対象をも容易に概念化して語ることを可能にする言語は、「男心」や「女心」のように抽象的な物も、まるでそこに存在するかのように意味を象徴し、我々の中に強制的に入り込んできます。そのように言語が孕んでいるある種の「暴力性」については無自覚ではいけないなぁと思うのです。

つまり、「男心」とか「女心」ってそれ自体を言葉にするのはとても簡単だし、辞書的な意味もすぐにわかるけど、畢竟、それらの本質というかイデアみたいなものなんて何処にも無いんじゃないか知らんって事を言いたいのです。抽象概念の言語化が容易であるが故に、我々は恰もそこにそれらが存在するかのように振る舞うけど、そんなのは話者の思い上がりで、まやかしなんじゃないのって思っちゃうのですよ。

 

②主語が大き過ぎる問題

前提として、人によって思考や行動のパターンは違うし、それ自体を否定する人は余り見たことはありません。しかし何故か「大雑把な括りの主語」で話し始めると「人によって思考や行動のパターンは違う」という前提が途端に崩れちゃう場面って多くないですか。最近は「大雑把な括りの主語」を聞き慣れてきたので余り気にしないですが、やはり冷静に考えるとちょっと変な気がします。

そりゃあ大雑把に括った主語で事物を理解しようとするのは楽だと思いますよ。目の前にいるA子ちゃんの事を理解できない時に「やっぱり女性(女心)は理解できないなぁ」って言っちゃえば終わりですからね。性別を入れ替えても同様です。そこで向き合わなければいけないのは女性でも男性でも男心でも女心でもなく、徹頭徹尾「目の前の他者」であると思います。大き過ぎる主語は問題から目を逸らすのに好都合な言葉ですが、個別の対象と向き合う際には不都合な言葉になるなぁと思います。

当然ですが、完璧な相互理解は不可能でしょう。ただ、不可能な理由は男と女だからじゃなくて単純に自分とは違う他者だからという点は忘れたくないですし、「相互理解の不可能性」を自覚した上で、それでもその他者を受け入れて理解するよう努めるのが大切なんじゃねぇのと。そもそも「男」とか「女」って何処にもいないじゃないですか。男性の◯◯さんとか女性の◯◯さんってのはいますよ。でも「男」や「女」って姿も形も無いんですよね。それなのに「意中の男性を落とすテクニック」とか「女心を掴むコツ」とかが世の中には溢れていて、もう意味がわからんですわよ_(┐「ε:)_

そんな事よりその個人と向き合えばいいじゃん。それだけじゃん。結果を出すのは難しいけど腹をくくれば向き合うこと自体は簡単じゃん。みたいな。

それとですね、「男って◯◯だよね」とか言われた時に◯◯の部分が自分に全く当てはまらない場合なんかは 「世界に一つだけの花 」の代わりに“God save the Queen ”を聴いていた影響で根がおパンクにできているが故に非常にシド・ヴィシャスな気持ちになるんですよ。そんな大きい主語で括られたらたまったもんじゃないですよ。そりゃあプレベをフルスイングしたいお気持ちにもなりますよ。

 

男性向けと女性向け両方の風俗業界で働いている当人がこんな見解なのは些かフラット過ぎると言うか、そこはかとなくアッパラパーな気もしますが、「だってそう思っちゃうんだからしょうがないじゃん」としか弁解できないので、御仁方々色々意見はあるかと存じますが「あぁ、此奴はこういう考え方なんだなぁ」程度に思っといてもらえれば幸いです。

 

それと最後まで読んでくれたそこの君、ありがとな✌︎('ω')✌︎

ゴッドバードはお茶を引く夢を見るか?

好きな怪獣は暴竜アンギラスです。どうも皆さんこんにちは。SPA Whiteのなおです✌︎('ω')✌︎

タイトルについてはフィリップ・K・ディックの小説をパクれば多少なり知的に見えるかもしれないと思ったからそうしただけであんまり意味はないんですよ。まぁそこんとこよろしく。

さて、今回のテーマは所謂「お茶引き」についてなので、風俗業界にいる紳士淑女の方々にとっては非常に身近なんじゃないかと思います。ちなみに「お茶引き」って言葉を始めて見た人のために補足をすると、出勤しても指名が入らなかった状態を指す言葉で、風俗業界内のスラングみたいなものです。

【使用例】

ボーイA君「おっす、今日はどんな感じ?」

なお氏「いやー、待機してるけどこのまま指名ゼロだとお茶引いちゃうよー」

みたいな。語源としては、昔の遊郭でお客さんに出すためのお茶は指名が取れずにいる暇な遊女が挽いて出してたから等々、諸説あるみたいですね。

かく言う僕も恥ずかしながら時々お茶を引く(出勤するも指名ゼロ)ことがありまして、今回はその原因について、表面的なものではなく深淵まで到達するような非常にクリティカルかつフィロソフィカルな考察をしようという試みです。それでは始めましょう_(┐「ε:)_

 

先ず始めに、お茶を引く日が存在する表面的な原因についてですが、それは単純に「時代が俺に追いついていない」からです。それは例えば、「太陽は東から昇って西に沈む」とか「足立区って治安悪いよね」みたいな当たり前田のクラッカー的ファクトなのでそれ自体を論証する必要はありません。しかし、そこから一歩進んで、「時代が俺に追いついていない」とは如何なる状態なのかを思考する事は、自分にとっても風俗業界にとっても無駄ではないはずです。

突然ですが、皆さんは時間というものが絶対的ではない事をご存知でしょうか。アルバート・アインシュタインが1905年と1915年に発表した「特殊相対性理論」と「一般相対性理論」で言及されている通り、時間とは絶対的ではなく弾性的なものなのです。例えば、非常に強い重力を持った場所(ブラックホール特異点)や光速に近い速度で移動する物体に流れる時間は、(敢えてこういう表現をしますが)今現在の私達が体感している時間よりも遅くなります。しかしここで注意しなければいけないのは、ブラックホール特異点では人間は跡形も無く消し飛んでしまうので生きて到達するのは不可能なのと、何物も光速を超える速度は出せないという点です。それは「足立区って治安悪いよね」と同様に論駁は不可能です。

それらを踏まえて、お茶を引く日がある、つまり「時代が俺に追いついていない」という状態を考察すると、(当然の帰結ですが)以下の事実に気付かされました。

 

「出勤するために家の玄関を開けた瞬間から待機場に到着するまでの約40分間、俺って光速に近い速度で移動してるじゃん」

 

察しの良い皆さんならどうなるかわかりますよね?

先ほど説明した通り、光速に近い速度で移動する物体に流れる時間は遅くなるわけですから、自分の体感的には40分間の移動なのにもかかわらず、待機場に着いたら出勤時間が既に終わっているんですよ。つまり、自分に流れる時間的には40分間なのに、光速に近い速度で移動してしまうが故に「出勤時間が終わっている未来」に飛んでいってしまっているわけですね。図らずも。

いやー、そりゃあその日は指名取れないよね。だって待機場にいないんだもん。待機してる時間だと思ってお客さんがお店に電話してるまさにその瞬間タイムリープしてたら俺に電話繋がらないよ。それに電波より俺のが移動速度が速いんだから。時代が俺に追いついて来れないのも無理ないわ。すまんな。

「そんなに速く移動できるわけないじゃん」

って月並みな批判を展開する人がいるかもしれないけど、取り敢えずリチャード・バックの「カモメのジョナサン」を読んでみれば成る程と膝を打つはずですよ。生きるために生きている大勢のカモメ達と違って、脇目もふらずに「速く飛ぶ」という好きな事を突き詰めたジョナサンは瞬間移動を会得した訳だから、当然俺もできるよ。瞬間移動。だって風俗業界面白いから好きだもん。ただフィクションと違って現実は瞬間移動すると俺みたいに未来に行っちゃうけどね。相対性理論的にね。

小説の後半で光ってるカモメが出てきてジョナサンを導くんだけど、俺は最早メンタル的にはその立ち位置にいるんですよ。あの光ってるカモメに固有名詞がないから、勝手に「ゴッドバード(ポケモンのひこうタイプ最強の技。詳しくはググって)」と呼ぼうと思うんだけど、ついでに指名が入らなかった日も「お茶引き」じゃなくて「ゴッドバード」って呼ぼうかな。「お茶引き」とかネガティブなイメージが積み重なってるしダサいじゃないですか。その点、「今日の俺はゴッドバードだから」って言うとナウなヤングって感じがしてオシャンじゃない?

 

以上の様に当たり前の事を当たり前に論証したのですが、何人かは「コイツは何故こんなにも自信過剰なんだ」って思ってませんか?

それにはちゃんと理由があるんですよ奥さん。ここからがマグマなんです。

 

風俗業界だけで仕事をしていて指名が取れなかったり周りのキャストが売れてると、どうしても自分が無価値であるかのように感じて自信が無くなる時ってあるじゃないですか。そういう時の「僕(私)なんて…」って状態につけ込んで仕事やプライベート関わらず依存させたり操ったりとか、そういうのが上手い連中ってのがいるんですよ。有り体に言ってそんな連中はクソファックですけど一定数存在する事は事実なので、それに取り込まれて負のスパイラルに陥らないためにも自信を持ったり、少なくとも自信を持った態度でいる事って凄く重要だと思います。謙虚である事は大切だけど、卑屈になっても良いことなんて一つもないですしね。虚勢張って啖呵切っちゃうくらいがちょうど良いのかなぁなんて思ったりもしてます。その一環が「ゴッドバード」ですよ。

 

まぁ、何が正解なのかもわからないし、そもそも正解とか不正解なんてのも存在しないんでしょうが、最近はそんな事を考えて生きています。

 

長くなりましたが、最後まで読んでくれて有難う御座います。それと、今年もよろしくお願います。もへー✌︎('ω'✌︎ )

ちんこのアイドル性について〜急〜

_(┐Hello this is Nao「ε:)_

「ちんこのアイドル性」という何だかよくわからないテーマにもかかわらず読んでくれてありがとね。もうこの時点でお礼を言っちゃうよ。今回は過去2回の内容を踏まえた上での総括編になるんだけど、毎回見切り発車で書き始めてるから自分でもオチがどうなるかよくわかってないんだよね✌︎('ω')✌︎

ただ、好きなミュージシャンが「とりあえず風呂敷を広げておいて帳尻なんて後で合わせればいいんだ!!」って言ってたから僕もそのスタイルでぬるりといくよ。それでは「ちんこのアイドル性について〜急〜」はじまりはじまり。

 

壇上の席に座るジークムント・チンコスキー氏とファルス=ザ=デストロイ氏、静まり返る会場、恐らくパルミジャーノ・レッジャーノであろうか、辺りに漂う芳醇なチーズの香り、そして会場の観客が固唾を飲んで2人を見つめる中、突如として壇上中央にホログラフが出現した。そう、まさにその姿はアル○ス・ダンブル○アそのものであった。

聴衆A「あ…あのお方はダンブ○ドアじゃないか。偉大な魔法使いがどうしてこんな所に…」

聴衆B「ちんこのアイドル性と魔法って関係ないよな…?」

そして暫くの間会場を見渡した壇上のダンブルド○が発言を始めた。以下はその発言内容である。

 

突然姿を現して少しばかり皆を驚かせてしまったようじゃのう。先ずその非礼についてはお詫び申し上げたい。言い訳がましく聞こえてしまうかもしれんが、これには理由があるんじゃよ。最初からわしが登場すると公表しておったら、恐らく討論会の入場券がすぐに売り切れてしまって最近流行りのヤフオクで高値で売られる事になったじゃろう。

聞く所によると、極東に位置する国で最近活動を再開させたELLEGARDEN なるロックバンドのライブチケットが転売ヤー達の手によって定価の何倍もの値段に跳ね上がったそうじゃないか。「チケット転売、ダメ絶対」じゃよ。

手前味噌はこのくらいにしておこうかの。改めて、私はホグワーツ魔法学校の校長を務めておるアルバス・ダンブルドアじゃ。短い時間ではあるがよろしくお願い申し上げる。

さて、両氏の主張は双方に頷ける点が多く、非常に優れたものじゃった。チンコスキー君の史実や現状に基づく分析、そしてファルス君によるディベートの議題を逆手に取った主張は白眉であるといえよう。我が校の授業であれば優秀な成績を取ること請け合いじゃ。

今回の議題と両氏の主張について自分なりに思考を巡らせてみたときに、「弁証法」という言葉が頭に浮かんできたのじゃが皆さんはご存知かな?

かつてドイツにゲオルグヘーゲルというそれはそれは優秀な哲学者がおって、彼が提唱した概念じゃ。テーゼとアンチテーゼがぶつかり合ってより高い次元に行くことで、絶対知へと辿り着けるという考え方なのじゃが、まぁ詳しくはググってもらうか、我が校のハーマイオニー君に訊いてみれば喜び勇んで教えてくれるじゃろうて。

ちんことは不思議なものじゃ。ある人はそれを嫌悪し、またある人はそれを求め、そしてまたある人はそれに全く無関心な態度をとる。つまり、「んほぉぉぉーおちんぽすきでしゅぅぅぅううー」と思っておる者が「ちんこにはアイドル性があります」と主張した場合、それは真であり、ちんこと路傍の石を同列に捉えている者が「ちんこにはアイドル性がありません」と主張した場合、それもまた真なのじゃ。

それは例えば、イスラム教徒とキリスト教徒と仏教徒に対して「ぶっちゃけゴータマ・シッタールダについてどう思ってんの?ねぇ?どうなのよ?」と質問した際の返答が異なるのと同様なのじゃよ。

会場の諸君はもうお気付きであろう。個人が「ちんこにはアイドル性がない」と断言する事は「ちんこにはアイドル性がある」と断言する事が可能であるのと同様に可能なのじゃ。何故ならば、アイドル性の有無を判断するのは徹頭徹尾、個人の裁量によるからのう。逆に言えば、個人がちんこのアイドル性の有無について、あたかも世界の原理原則かの如く語る事は難しいと言わざるを得ない。

「私はバタービールが好きだ」という思いから「全世界の人間はバタービールが好きなはず」という誤解をしてはいかんのう。

簡単なまとめじゃが、「アイドル性とは個人が抱くもの」と言えるのではないじゃろうか。そして、一般論に落とし込む際には注意が必要な言葉じゃよ。

どうも歳をとると話が長くなってしまっていかん。堅い話はこの辺にして、どうじゃろ、最後に皆で乾杯でも如何かな?

(ダンブルドアが手を叩くと各人の目前に液体で満たされたグラスが出現した)

さて、それでは諸君、本日の両氏の素晴らしい議論とちんこに、そして世界で最高の飲み物であるバタービールに、乾杯!!

 

目覚まし時計(ピピピッピピピッピピピッ)

なお氏「うーん、もうこんな時間かぁ。なんか変な夢を見ていたような。ダンブルドアがちんこの話を…いや、まぁいっか。顔洗ってこよーっと」

 

〜fin〜

 

エンディングテーマはOASISDon’t look back in angerが良いので各自YouTube等で聴いてください_(┐「ε:)_

 

いやー、ちょっと長くなりましたけど、ここまで読んでくださって有難うございました。言いたいことは校長先生が代弁してくれたので、ここでは特に総括的なことはしません。また次のブログでお会いしましょう٩( ᐛ )و

ちんこのアイドル性について〜破〜

_(┐Hola, Yo soy Nao「ε:)_

今回も引き続き「ちんこのアイドル性」についての思考実験を行っていくよ。前回のブログでは「ちんこにアイドル性がある」という立場からジークムント・チンコスキー氏が論を展開したけれど、今回はそれに対する反論、つまり「ちんこにアイドル性がない」立場からファルス=ザ=デストロイ氏が論を展開していくのでそこんとこ夜露死苦٩( ᐛ )و

 

以下はチンコ氏の発言に対して反論を述べるファルス氏の発言です。

 

(ファルス氏が会場内にて発言を始める)

 

チンコさん、歯切れの良い意見表明を有難うございました。そしてあなたの主張は良く理解できましたが、些か時代遅れの産物と言わざるを得ません。ポストモダンと言われて久しい今日においてあのような発言をするという事は、自ら懐古主義者であると告白しているに等しいと感じてしまいます。そこで私からは、あなたの2つの意見に対する反論をした後、私見を述べさせて頂こうと思います。

先ずはチンコ氏の第一の主張である「男性器が偶像として使用されてきた歴史的な事実がある」に対しての反論です。

私は「歴史的な事実がある」という点については反論を述べる事は出来ません。確かに男性器が偶像として使用されてきた史実はありますし、それを否定する気も毛頭ありません。

しかし会場の皆さん、よく考えてみてください。偶像に願いを込めて崇め奉る宗教的な行為が果たして現代においても力を持っていると言えるのでしょうか。フリードリヒ・ニーチェが神の死を宣言し、ジャン=フランソワ・リオタールが「大きな物語」の終焉を提唱して一体何年経ったのでしょうか。

産業革命を経て経済や科学技術が発達した現在において、政治や宗教といった「見えざる大きな力」や「超越的な存在」をベタに信じる事は最早不可能になってしまっています。成る程、数千年〜数百年前には天候や病気、生殖の仕組みが科学的に解き明かされていなかったが故に、そういった男性器崇拝は大きな力を持っていたことでしょう。偶像に願いを込めて、「見えざる恐怖」から逃れる為に「見えざる力」を信じる行為にも意味があったのだと思います。

しかし、以前は男性器崇拝が担っていた事柄を科学や医学が担っているんです。時代は変わったんですよチンコさん!!今や「見えざる力」を語っているのは「月間ムー」くらいじゃないですか!!「俺、月間ムー読んでるんだよね(テヘッ」って言ったら「うわぁ…」って返されるのが関の山なんですよ!!私だって「見えざる力」は信じたい!!小学生の頃はダウジング埋蔵金を探したけど結局は見つからなかった!!本に書いてあったのにもかかわらず!!

悲しいですが以前は機能していたであろう「大きな物語」は終わった。ベタに男性器を崇拝する行為は廃れてしまった、そういう事です。チンコさん、あなたは在りし日の夢を見ているだけなんですよ。今こそ一皮剥けてひとつウエノ男になるべきじゃないんですか?

(会場ざわつく)

そして第二の主張である「男性器を模したディルド等が存在している現状がある」についてですが、チンコさん、あなたは自らの発言で墓穴を掘っていることにお気付きでないのですか?先程あなたは仰いましたよね?「我々は関係性の中で文脈を持って生きてるんだよ」と。

この発言がどれほど男性器自体にアイドル性がないかを体現しているか説明しましょう。

先ず「関係性」ですが、男性器とは男性の身体の一部であり、他者が男性器を視覚的に認識する場合、出発点として「誰かの身体の一部」として認識するでしょう。「誰か」とは恋人、友人、架空のキャラクター、誰でも構いません。そしてそれは各人の記憶が担保となっています。次に「文脈」ですが、それは例えば性行為のための男性器や排泄行為のための男性器といった表現になるかと思います。

つまりチンコ氏の主張というのは、「関係性と文脈が担保された男性器」にはアイドル性があるということになります。記号的価値の主張にしても同様でしょう。恐らくジャン・ボードリヤールの文献を下敷きにしたのかと思われますが、あれはまさに関係性と文脈の担保がなければ成り立たない主張です。これらの主張は今回の議論において一見正論の様に思えます。「関係性と文脈が担保された男性器」言い換えれば、「専ら性的な興奮を喚起する状況下において、性的魅力を持った誰かの身体の一部である男性器」には確かにアイドル性が備わっているでしょう。

(壇上のチンコ氏が勝ちを確信した面持ちでほくそ笑む)

フッ、そう結論を急がないでくださいよ。いいですか皆さん、ここからがマグマなんです(なかやまきんに君風に)

(会場内でBon JoviのIt’s my life が流れ始め、ファルス氏がおもむろに上半身裸になり粉チーズを取り出す)

第一に、チンコさんは今回の議題設定を「男性器は偶像又はそれに類する存在たり得るか」に変更し、会場の皆さんの了承を得た。

第二に、私の反論により現代におけるベタな男性器崇拝には力がなくなっている事が論証された。

そして最後に、先述の通り「関係性と文脈が担保された男性器」にはアイドル性がある事は認めますが、皆さん、これが意味することがお分かりでしょうか?そうです。裏を返せば「関係性と文脈が担保されない男性器」にはアイドル性がある事を論証できていないんです。そして今回の議題に登場するのは単なる「男性器」です。

もう皆さんはお分かりですよね?つまり!!私の主張を統合するとチンコさんの設定した「男性器は偶像又はそれに類する存在たり得るか」の答えは「否」です!!そう男性器は偶像又はそれに類する存在たり得ないんです!!

(この辺でIt’s my lifeのサビが流れ、粉チーズを会場に振り撒く)

チンコさん、確かにあなたは優秀な人だ。しかしこれは学会ではなく議論、ディベートの場なんですよ。優秀さ故に議題設定を明確にし、史実と事実に依拠した事が仇となってしまった様ですね。

以上で私の反論を終わりにしたいと思います。ご静聴に感謝いたします。

(会場から拍手)

 

To be continued...

ちゃんとしたディベートならこの後さらに質問とか反論の時間があるんだけどちょっとめんどくs(ry建設的な議論を進めるスキルがないので、予定通り次回の総括編で終了しようと思ってます。

 

【イベントのお知らせ】

SPA Whiteでは12月にイベントを企画しています✌︎('ω')✌︎

15日に正統派イベントの「クリスマス会」、そして16日には僕とSPA Whiteのセラピストよしきプレゼンツで邪道イベントの_(┐ダるい会「ε:)_を開催予定です。

まだ参加申し込みは受け付けているので、詳しくは下記URLをチェック↓↓

http://spa-white.jp/2018/11/06/1-14/

 

今回もっ!!最後まで読んでくれてっ!!・・っ!・・圧倒的っ!!・・圧倒的感謝っっ!!・・っ!・・!!!

 

_(┐次回〜急〜に続く「ε:)_

ちんこのアイドル性について〜序〜

_(┐うぇーい、なおだよ「ε:)_

この意味不明なタイトルのブログをクリックしたそこの君、とても見る目があるね(迫真)。そのフロンティア精神を忘れないで欲しいな。

まずは何故にこのタイトルなのかを説明するよ。僕が所属しているSPA Whiteには当然だけどセラピスト側にもルールがあって、その1つが「施術中は着衣(最低でもパンツ1枚は履く)」なんだよね。そして、お店側が提示してるそのルールの根拠としては「ちんこにはアイドル性がないから」という訳なんだ。

そ・こ・で、今回から3回に渡って「ちんこのアイドル性」について、思考実験的な事をしていくよ。その構成は以下の通りだよ。

 

序→「ちんこにアイドル性はある」という立場から論を展開する

破→「ちんこにアイドル性はない」という立場から反論を展開する

急→なんとなくの総括をする

 

あ、一応言っておきますけど店のルールを覆したいからこのブログを書いてるわけじゃないですからね(あす香さんとかよしきとかその辺に向けて)。

それじゃあ早速「ちんこにアイドル性があるか否か」の思考実験を開始します。

 

_(┐Here we go!!「ε:)_

 

時は20XX年、未来帝国EHS某所にて、ちんこにはアイドル性があると主張するジークムント・チンコスキー氏(55歳、以下チンコ氏)と、反対にアイドル性はないと主張するファルス=ザ=デストロイ氏(32歳、以下ファルス氏)の口頭弁論が行われた(書いててもう意味わかんない)。

しかし口頭弁論は撮影NGで行われたため、以下は当日の録音からチンコ氏の発言部分を文字起こししたものである。

 

(会場内にてチンコ氏が発言を始める)

ちんこにアイドル性があるというのは言を俟たないが、そもそもその事に対して反対意見を唱えようとする事自体が笑止千万である。まさにファルス氏のお国が知れる主張であると断言できよう。しかし私も鬼ではないのでファルス氏のエアーヘッドでも良く理解できるよう説明をしてあげようではないか。ぬははは。

始めに議題の定義設定からだ。この議題「ちんこにアイドル性はあるか否か」についてだが、ここでは論を明確にする為に小分けにして定義を決めていこう。先ずは「ちんこ」であるが、これは「男性器」である事は明白であろう。次に「アイドル性」だが、「アイドル」とは「偶像」を意味している。そして偶像とは神や仏を形どり信仰の対象とするもの、又は憧れや崇拝の対象になる対象を指している。最後に「性」については名詞の後に付くことで物事の性質や傾向を表している。

つまり、今回の議題は「男性器は偶像又はそれに類する存在たり得るか」と言い換えても差し支えないと思うのだが、会場の皆さんは如何ですかな。

(会場から異議なしの声)

うむ。議題がクリアになった所で、私の論を展開させて頂こう。

私が論拠として提示するのは次の2つである。

①男性器が偶像として使用されてきた歴史的な事実がある

②男性器を模したディルド等が存在している現状がある

始めに①についてだが、古くから「生殖器崇拝」という言葉がある通り、生殖器のもつ神秘的な力、とりわけ生殖器により象徴される生産力や豊穣力に対する信仰がなされてきた歴史的な事実がある。たとえば古代ギリシアディオニソス祭、古代ローマバッカス祭やリベル祭のときには男根を模した偶像が重要な役割を果たしていたのだ。そして現在でも男性器を偶像として崇める文化が残っている事から、男性器が偶像たり得る十分な証左になるのではないだろうか。

しかしここで小賢しい若造はこう反論するかもしれない。

「確かに男性器を模した偶像はあるかもしれないが、それは男性器の向こう側にあるイデアを体現しようとしてるだけで、切り離された男性器自体に意味はないんだ」とか「実存は本質に先立つ訳だから、男性器が意味を持つのは前後の文脈あってこそである。つまり男性器自体に何も宿っていないのだ」とかなんとか。

貴様らは哲学科に行った大学生か!!くだらん空理空論ばっかり振りかざし上がってからに!!現実を見よ!!我々は関係性の中で文脈を持って生きてるんだよ!!もっとプラグマティックに喋ることはできんのか!!

いかんいかん。私としたことが熱くなってしまった。兎に角、そういった史実や現状が確認できる事から、男性器は偶像たり得ると言えよう。

次に②男性器を模したディルド等が存在している現状がある。について説明しよう。

道具には使用価値と記号的価値がある。例えばコップを例にするとわかりやすいが、350mlの容量を持つコップは100円で購入可能だが、数千円〜数万円もする同サイズのコップを購入する人もいるだろう。それらのコップには、容量の違い、つまり使用価値の違いはないが、その記号的な価値が全く異なっている。それはデザインやブランドであったり著名人のサインが入っていたり様々な違いである。つまり、人には道具に使用価値以上のものを求める傾向があるのだ。

話をディルド等に戻そう。使用価値だけを求めるのであれば男性器のディテール、つまり血管や肌質まで再現する必要などなく、形のみを再現すれば良いのではないか?もちろん、ディテールを再現してない商品が市場に出回っていたり、敢えてリアルではない形状にデフォルメしている商品がある事も知っている。

しかしここで重要な点は、男性器のディテールを再現した商品が市場にあり、それを購入している層がいる。つまり、使用価値だけでなく「男性器」という記号も求めている人間がいるという事実だ。これは取りも直さず男性器が偶像たり得る証左である。何故なら、現にそれを求める人間がいるのだから!!そうとは思わんかね諸君!!

(会場ざわめく)

今私が述べた2つの事柄は史実と現状を加味した極めて重要な指摘である。ファルス氏はこれに対してどう反論するのかとても楽しみだ。恥をかきたくなければ反論を拒否してもいいんだぞ。ぬははは。それでは私の弁論は以上だ。ご静聴に感謝する。

(会場から拍手)

 

このよくわからん文章をここまで読んでくれたそこの君、非常に良い人だね。そのパイオニア精神を忘れないで欲しいな。

さて、次回はファルス氏の反対弁論になるけど、果たしてこのチンコ氏の主張を突き崩す事が出来るのか。

 

_(┐次回〜破〜に続く「ε:)_

セックスワークサミットの感想(みんなで語るレズ風俗)

今現在SPA Whiteの大阪出張企画に参加してまして、大阪市内某所に潜伏しているなお氏です。皆さんこんにちは_(:3」z)_

因みになんですが、東京から大阪に行くにあたって人生初のヒッチハイクをしてみたんですよ。結果としては3人の方に乗せていただいて、東京〜大阪間を約22時間で移動する事が出来ました。乗せてくれた方々には山よりも高く海よりも深い恩を感じました。本当に有難うございました(土下座)。

 

さて、ブログタイトルにもある通り先日は(一社)ホワイトハンズさん主催のセックスワークサミットに参加してきました。今回のテーマは「みんなで語るレズ風俗」という事で、前半は「対話型レズ風俗Relieve」オーナー兼キャストである橘みつさんのレズ風俗についての講義、後半は4〜5人のグループに分かれてのディスカッション形式で行われました。

全体を振り返ってみて、自分的に頭に残ったキーワードは「風俗店の役割」と「性について語ること」の2つだったので、それらについてつらつらと書いていきたいと思います٩( ᐛ )و

 

①風俗店の役割について

橘さんが経営しているレズ風俗は対話型という事もあってか、誰にも打ち明けられない性の悩みを抱えた方もいらっしゃるそうです。それは例えば自らのセクシュアリティや性器の形、その他様々なものだそうですが、ここで重要な点は「その悩みを打ち明ける場所が風俗店であったという事実」だと感じました。

自分の悩みだったり解決したい問題がある場合、通常であれば家族や友人に相談し、その次はカウンセラー等の専門家を訪ねるケースが多いのに、性の悩みについては風俗店を利用して悩みを吐露せざるを得ない現実がある。勿論悩みを持った方全員が風俗店へ訪れるという事ではなく、また逆にお客さん全員が性の悩みを抱えている訳ではないでしょうが、それは今の日本において「性についての語りにくさ」を象徴している事例だと思いました。

風俗店というと、お金で性欲を解消するイメージを持たれがちですが、橘さんの講義を通しても分かる通り、性についてのシェルターや駆け込み寺と言った役割も担っています。誰にも打ち明けられない悩みは自分でも気づかないうちに大きくなって、まるで絶対に倒せない怪物の様な存在になる時があるけれど、そんな状態から一歩先に進んだり、その怪物は影絵みたいなもので、実際は乗り越えられるものなんだよと気付くきっかけになるんだったら、やっぱり風俗店って良い所じゃんと思いました。

あと、橘さんの物事を言語化する能力とプレゼン能力がとても高くて、「もへーすごいなー」と思いながら聞いてました_(┐「ε:)_

 

②性について語ること

後半は現場の事例についてグループディスカッション形式で進行したのですが、そこで感じたのは「そう言えば性についてパブリックな場で複数人で真面目に語ることって少なかったんじゃないか」という点でした。僕は売り専と女性向け風俗店の兼業なので、一対一で性について話す機会は割と多い方だと思います。ですがパブリックな場所で複数人となると話は別なんですよね。ディスカッションの過程で徐々にわかったのですが、性について語る時には「笑い」と「パブリックな事柄とプライベートな事柄の区別」の問題が顕著になる傾向があるみたいです。

例えば居酒屋とかで性について話す時って武勇伝とか失敗談を笑いを交えて話すことは多いけれど、笑いなしの真面目なトーンで話す事ってあんまりないですよね。一方で仕事や人間関係や自分の将来についてはお酒が入っていても真面目に語る事は容易だと思います。

そこで問題になるのが「パブリックな事柄とプライベートな事柄の区別」で、性について語ろうとするとどうしてもその辺がごちゃごちゃになる傾向があるみたいです。一般的に性に関する事柄は秘め事とされているので、白昼の下に晒すのは恥ずかしい事とされていますが、良く考えてみると羞恥心を覚えるのって自分の極度にプライベートな事を晒すからであって、客観的な持論を語る際に羞恥心は覚えないはずです(そもそも自分の意見を表明する事自体が恥ずかしいという人はまた別の問題ですが)。大学入試の偏差値について語る事と自分の偏差値を開示する事は別物みたいな感じですかね。

性についてはその辺りの棲み分けができにくく、理由の一つとしては余りにも性について語る機会が少ない為、語り方が分からないからなのではという意見がディスカッション中に出ました。これは本当にその通りだと思いましたし、日本の性教育の現状をみても当然の帰結なのかなと思います。しかし原因が明らかになれば対処の方法も自ずと分かるもので、これは単純に性について語る訓練をするしかないという結論に至りました。訓練と表現すると物々しい印象を受けますが、「オープンな場所で性について普通に話そうぜ」って事です。橘さんは定期的に「スナックみつ」という場所を設けて、お酒を飲みながら性について(勿論それ以外も)気軽に語れる様な環境を提供する試みもしているそうです。

あ、SPA Whiteでも定期的に女子会みたいなイベントを開催してまして(唐突な宣伝)、そこではまだSPA Whiteを利用していないけどセラピストの雰囲気を見てみたい方や、利用した事はあるけど他のセラピストも見てみたい方、単純に女子会としてイベントを楽しみたい方等々、様々な方が参加しています。そして、その場所ではどんな性の話をしても全く浮かないし引かれないと思います。だから(チラッ)時間があれば(チラッ)参加して_(:3 」∠)_くれると_(┐「ε:)_嬉しいなぁなんて_(:3」z)_思ったり✌︎('ω')✌︎

さて、まだまだ性の話をベタにする場所というのは少ないかもしれませんが、参加したセックワークサミットやスナックみつ、SPA Whiteの女子会等、性について語り合って、それを包摂できる場所が増えたら良いなぁなんて思いました。そうすれば、性についての悩みを抱えた方が本当に少しずつだけど減っていく気がします。

性教育の充実について国や都道府県に訴えかける手段もあるかもしれませんが、政治行政には寝た子は起こすな理論がある上に性教育はセンシティブな内容とされているので、実際的なパラダイムシフトを起こす事は難しいと思います。だからこそ草の根運動が大事なんだよという意見は勿論理解できるのですが、チェ・ゲバラみたいな人がいない限りはキツイよなぁとか考えちゃいます。それよりも、「政治行政とかよくわかんねぇけど俺たちこんな楽しいことやってるんだぜ、お前等も良かったら来いよ。ここでは誰もお前を否定しないからさ」って言える場所がいっぱいあれば良いんじゃないか知らんとか思ってます。

 

最後は「パブリックな事柄とプライベートな事柄の区別」からずれちゃいましたけど、今回のセックスワークサミットに参加した感想はこんな感じでした٩( ᐛ )و

 

最後まで読んでくれてありがとうございました。次回更新にてお会いしましょう。