ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

女性向け風俗キャスト兼売り専ボーイのブログ

男心と女心、或は主語の大きさについての考察

今年に入ってから“Chillwave”や“Glo-fi”なる音楽のジャンルに出会ってその辺りに沼り始めているSPA Whiteのなおです。それ系の音楽が聴けるクラブがあれば教えてください。よろしくお願いします(土下座)。

 

さて、突然ですが皆さんに質問です。男(心)とか女(心)について語るのが好きな人って多くないですか?

「男ってのはさぁ◯◯なんだよ」「女子は◯◯が好きなの」「女心をわかってないよねー」等々、会話の節々に現れる慣れ親しんだフレーズだと思います。しかしそういった場面で根が捻くれ者にできてる俺はどうしてもこう思っちゃうんですよ。

「世界には男女それぞれ35億人以上もいるのにどうしてそんな事を断言できるの?」

って。俺は学者でもなければ精神科医でもないので正確なジャッジはできないですが、昔からその類の発言に違和感を抱いていたんですよね。それは例えば、「日本人って◯◯だよね」とか「AB型の人って◯◯だよね」みたいな言説にも通ずるものがあって、早い話が「個別の対象を安易にカテゴライズする行為」に対して賛同できないんですよ。なので今回は、その違和感を感じる理由について考えたいと思います٩( ᐛ )و

 

①言語の暴力性

風呂敷を広げ過ぎな感じもしますが、俺の見解を聞いてくださいよ奥さん。

先ず、言語ってのは文字であれ声であれ何かを表す象徴じゃないですか。例えば「ヴィトンのバッグ」や「洗濯バサミ」、「ウォーズマンのパロ・スペシャル」って文字を見ると、その対象が頭に浮かびますよね。ここまでは良いのですが、「男」や「心」、「神(偶像じゃないやつ)」等の対象を辞書的な意味を超えて、具体的にありありと頭の中に浮かべる事は出来ないと思います。

しかし、「言語」という象徴を介しての意思疎通においては、実際に事物として存在しない事柄に関しても、事物として存在する事柄と同様に言語化し、それぞれを同列に語ることが可能となるのです。

この現象は、言語の良い点であり悪い点でもあると考えています。事物として存在しない対象をも容易に概念化して語ることを可能にする言語は、「男心」や「女心」のように抽象的な物も、まるでそこに存在するかのように意味を象徴し、我々の中に強制的に入り込んできます。そのように言語が孕んでいるある種の「暴力性」については無自覚ではいけないなぁと思うのです。

つまり、「男心」とか「女心」ってそれ自体を言葉にするのはとても簡単だし、辞書的な意味もすぐにわかるけど、畢竟、それらの本質というかイデアみたいなものなんて何処にも無いんじゃないか知らんって事を言いたいのです。抽象概念の言語化が容易であるが故に、我々は恰もそこにそれらが存在するかのように振る舞うけど、そんなのは話者の思い上がりで、まやかしなんじゃないのって思っちゃうのですよ。

 

②主語が大き過ぎる問題

前提として、人によって思考や行動のパターンは違うし、それ自体を否定する人は余り見たことはありません。しかし何故か「大雑把な括りの主語」で話し始めると「人によって思考や行動のパターンは違う」という前提が途端に崩れちゃう場面って多くないですか。最近は「大雑把な括りの主語」を聞き慣れてきたので余り気にしないですが、やはり冷静に考えるとちょっと変な気がします。

そりゃあ大雑把に括った主語で事物を理解しようとするのは楽だと思いますよ。目の前にいるA子ちゃんの事を理解できない時に「やっぱり女性(女心)は理解できないなぁ」って言っちゃえば終わりですからね。性別を入れ替えても同様です。そこで向き合わなければいけないのは女性でも男性でも男心でも女心でもなく、徹頭徹尾「目の前の他者」であると思います。大き過ぎる主語は問題から目を逸らすのに好都合な言葉ですが、個別の対象と向き合う際には不都合な言葉になるなぁと思います。

当然ですが、完璧な相互理解は不可能でしょう。ただ、不可能な理由は男と女だからじゃなくて単純に自分とは違う他者だからという点は忘れたくないですし、「相互理解の不可能性」を自覚した上で、それでもその他者を受け入れて理解するよう努めるのが大切なんじゃねぇのと。そもそも「男」とか「女」って何処にもいないじゃないですか。男性の◯◯さんとか女性の◯◯さんってのはいますよ。でも「男」や「女」って姿も形も無いんですよね。それなのに「意中の男性を落とすテクニック」とか「女心を掴むコツ」とかが世の中には溢れていて、もう意味がわからんですわよ_(┐「ε:)_

そんな事よりその個人と向き合えばいいじゃん。それだけじゃん。結果を出すのは難しいけど腹をくくれば向き合うこと自体は簡単じゃん。みたいな。

それとですね、「男って◯◯だよね」とか言われた時に◯◯の部分が自分に全く当てはまらない場合なんかは 「世界に一つだけの花 」の代わりに“God save the Queen ”を聴いていた影響で根がおパンクにできているが故に非常にシド・ヴィシャスな気持ちになるんですよ。そんな大きい主語で括られたらたまったもんじゃないですよ。そりゃあプレベをフルスイングしたいお気持ちにもなりますよ。

 

男性向けと女性向け両方の風俗業界で働いている当人がこんな見解なのは些かフラット過ぎると言うか、そこはかとなくアッパラパーな気もしますが、「だってそう思っちゃうんだからしょうがないじゃん」としか弁解できないので、御仁方々色々意見はあるかと存じますが「あぁ、此奴はこういう考え方なんだなぁ」程度に思っといてもらえれば幸いです。

 

それと最後まで読んでくれたそこの君、ありがとな✌︎('ω')✌︎