ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

女性向け風俗キャスト兼売り専ボーイのブログ

「なんで公務員辞めたの?」に対しての回答

どうも皆さんこんにちは。SPA White の大阪出張企画に便乗して来週からしれっと大阪に行くので、現地でお会いする方々はどうぞ宜しくお願いしまする。

いつにも増して捻りのないタイトルですが、結構訊かれる事があるのでこの場を借りて説明しようかなぁなんて思います。

 

さて、SPA Whiteの紹介ページやこのブログの過去の記事でも触れている通り、俺は元々公務員だったんですね。区分的には地方公務員の事務職(大卒程度)で、土地区画整理や公共交通、建築指導なんかを担当する都市計画関係の部署に5年間いました。

そもそも何故に公務員を目指したかと言いますと、大学の政治学科で学んだことを活かして社会に貢献する!!とかでは全くなくて、特段やりたい事が無かったからです。そんでもって転勤は面倒だから嫌だし超絶ブラック企業には入りたくないし営業系は多分やる気スイッチがオンにならないから無理そうだし云々、そうやって消去法で考えていった結果、残った選択肢が地元の公務員かフリーターでした。

消極的な理由かもしれませんが事実なのでしゃーないですわな。最終的に、「フリーターよりも公務員になっちゃった方が食いっぱぐれる可能性が低い」というこれまたスーパー消極的な理由により公僕の扉をヘラヘラと叩いたのでした。

因みに「県庁には入ろうとしなかったの?」と訊かれる事もありますが、公務員試験のやる気スイッチがオンになり資料を集め始めた時点で県庁採用試験の願書提出期限が過ぎていたのでダメでしたテヘペロ(別に悔しくなんかないんだからね)。

このブログを読んでいる学生で公務員を目指してる人はいないような気がするけど、まぁ公務員試験以外でも願書関係の提出期限は早めにチェックしようね。お兄さんとの約束だぞ。

 

閑話休題

 

そんな感じで公僕LIFEがスタートした訳ですが、職場の人間関係には恵まれていたと思います。上司や同僚に嫌いな人はいなかったですし、職場の飲み会や組合の旅行なんかも楽しかったです。業務についても、思ってたより残業や休日出勤はあるものの過労死ラインを超えるものではなく、上司に対しても発言しやすかったので精神を病むほどではありませんでした。

これだけ書くと退職するのがクレイジーに思えますが、状況を勘案して精査(←予算編成時の逃げの一手によく使ってた便利な言葉)した結果、以下の3つの問題が眼前に出現したのです。

 

①定年後に全てを賭け過ぎ問題

②先が見えてしまう問題

③死は突然にやってくる問題

 

①定年後に全てを賭け過ぎ問題

これは働き始めて暫くして気づいたのですが、定年後に夢を見てる人多いんですよね。別にそれ自体は良い事だし否定すべきじゃないんですけど、定年後の自分に賭け過ぎて今を犠牲にし過ぎなのではと思ったんですよ。

気づきのキッカケは、年長者が飲み会で頻繁に話す話題の1つに「在りし日の自分と定年後に辿り着くかもしれないユートピア」みたいなテーマが多かったからです。余りに毎回の飲み会で話題が変わり映えしないので、もしや俺はタイムリープ小説の主人公なのではと思いましたもん。まぁ冗談はさておき、「今」の話が余りにも少ないんですよ。そんな状況に沈殿していると頭の中のジョニー・ロットンが「左手の中指を立てながら右手のビール瓶で今を生きてねぇ奴らの頭なんかカチ割っちまえうへへ」と言ってきたのですが、刑法違反はよろしくないので、これは公務員稼業からは物理的に距離を置くしかないなぁとの結論に至ったのです。

 

②先が見えてしまう問題

これは別にサイキックな話ではなくて、単純に30〜40年後の自分が想像できてしまうという意味です。数年毎に部署異動、業務上の小さな波はあるもののそこそこの役職について60歳か65歳で定年、若しくは再雇用みたいな。

普通に考えるとこれは悪くない人生だと思います。健康で文化的な最低限度よりも多少上の生活が可能だし、社会的信用も確保できる。しかしですね、根が天邪鬼にできている自分にはそれがどうにも慊りないんです。行く先の不確定要素が少ないと途端にメンタルが豆腐並みに柔らかくなってあらゆるモチベーションが霧散してしまうんですね。また、根が露悪的にできているので、自分の選択を俯瞰して眺めたときに、個人の生存戦略としての是非よりも、それを小説等の物語の一部として捉えた場合に面白いか否かで判断する癖もあるんですよ。

そんな状況に埋没していると、頭の中の伊藤カイジが「おいっ!!・・・勝たなきゃ誰かの養分っ!!・・倍プッシュだっ!・・っ!!」と言ってくるので、流石に業務中にチンチロはできないものの、またもやこれは公務員稼業からは物理的に距離を置くしかないなぁとの結論に至ったのです。

 

③死は突然にやってくる問題

何となく自分は死なないと思ってませんか?五体満足で生きていると、少なくとも今日や明日、来週なんかには死なないだろうと思って予定をたててるじゃないですか。でもそんな保証って何処にも無いですよね。数秒後に天災や事故で死ぬかもしれないし、明後日辺りにふと死にたくなって自殺する可能性だってゼロじゃないですよね。

身近な人が何人か亡くなって、その時にふと、「『死』ってのはその辺に転がってるもので、普段の生活と地続きのものなんだなぁ」と思ったんです。人が死ぬと葬式で弔いますけど、ああいった儀式って「死」を日常から切り離す作用を持ってると感じますし、それ故に「死」を自分事ではない何かに昇華する事で日常に帰っていけるんだろうなと。

でもさ、今生きてる全員がいつか死ぬのは避けられない運命なんだから、来るかわからない未来に期待するよりも徹頭徹尾「今」を大切に生きた方が良いんじゃないのと思うのです。「俺っていつか死ぬじゃん」て事実を頭の片隅にでもピン留めしといて、今の自分に素直に生きた方が誠実なんじゃねぇかと。

そんな事を夢想していると、頭の中のニーチェが「いいか、『皆んなと一緒に清く正しく美しく』なんてクソみたいなファッキン弱者道徳なんてミキサーにかけてドブに流しちまえよこのチンポ野郎。いい加減素直になれよ」と言ってくるので、まぁそれはそうだわなと膝を打ち、くどいようですがこれは公務員稼業とは物理的に距離を置くしかないなぁとの結論に至ったのです。

 

以上の内容をブラックホールの如き重力でごちゃっとまとめるとですね

蜃気楼のような未来に期待するのではなく、納得できない過去も全部受入れた上で自分に素直に今を誠実に生きようと思ったら公務員辞めちゃってたわ✌︎('ω')✌︎

という事ですね。

余談ですが、両親に事後報告したら久しぶりに怒られたのも今となっては良い思い出です。いやー、辞めちゃったもんはしょうがないよね。それに今でも実家に帰ると両親から怒られるけど実家の犬だけは味方してくれて父母VS俺と犬のダブルスだから勢力的には負けてないしね。

 

そんな感じの理由で退職したのでした。

めでたしめでたし。

 

〜fin〜