ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

女性向け風俗キャスト兼売り専ボーイのブログ

こんな時代だからこそ冷笑的にはなりたくない

こんな時代だから(という表現は些か紋切り型だけれど)何かと上手くいかないことが多い。バンドでレコーディングを始めようと思ったらスタジオが休業したり、シーシャ屋さんでも働き始めようと思ったら人員を抑える関係で求人が無くなったり、出張企画を組んだ矢先にコロナの影響でフライトの変更やGoToの見直しが行われたり。そういえば買ったズボンのサイズは間違ってたし、おまけに昨日は家の鍵を無くした。なんだか踏んだり蹴ったりである。

こんな空気感が続くと、自分の中で冷笑的な態度が何処からともなく顔を擡げてくる。「今何かやったってしょうがなくね?」とか「こんな状況でアツくなってもなぁ」とか何とか。早い話が失敗した時の損失を考えるのが嫌なので、あえて冷笑的で斜に構えた態度をとって自分への損失を先回りで回避しようとしているのだ。

この冷笑的な態度は何かを始めるのには厄介だけど、今この瞬間と少し先の未来で傷つかないためには恐ろしいほどに便利でもある。だって先攻ではなく常に後攻で、安全地帯からカウンターを狙っていればそれで済むから。何に対しても後出しで「ほら、こんな状況なんだからやっぱりダメだったじゃん。自分はやらなくてよかったよ」って言えば済むから。それに自分がそこはかとなく賢くなった気にもなれるしとても便利なの。

でも、だからこそ、冷笑的な態度には陥りたくないと思っている。これは徐々に精神を蝕む粗悪なドラッグみたいなもんで、時間が経つと自分が冷笑的な態度をとっていることすら忘れてしまう瞬間がある。そして自発的に行動を起こす事をやめて、安全地帯からニヤリと空虚に笑うオブジェになってしまう空恐ろしさすら感じるからだ。

じゃあどんな対処法があるのかを考えると、残念ながら決定的な解は無いように感じる。自分の思考を自由自在に操って冷笑的な部分だけを除くことなんてできないし、やりたいこと全てを上手くやってのけるほどの全知全能さも残念ながら持ち合わせていない。

ただ、自分なりに考えた対策として、「あえて」の文脈だけは大切にしようと思っている。つまり、こんな状況だけれども、「あえて」何かをやってみて、その結果が芳しくなくても斜に構えずに「あえて」正面から受け入れるし、「あえて」前向きに解釈する姿勢だけは保っていたいのだ。最近は「あえて」の文脈で自分の思考をハッキングするようなイメージで生きている。

人間の思考ってのは不思議なもので、最初は癖をつけるように、自分に言い聞かせるように、「あえて」の文脈を大切にしようとしていたのが、今では割とベタにその思考が出来るようになってきた。とはいえ、時には「『あえて』の文脈を大切にしようとしている自分」を俯瞰的に眺めて、それを冷笑するような、何と言うかメタメタ思考に陥る瞬間はある。そんな時には「浅野いにお作品の主人公じゃないんだから」とか突っ込みを入れて何とか乗り切っている。プンプン。

まぁアレです。どんな状況だろうと、何かしらの変化を起こしていった方が絶対に楽しいと思うんです。先述した通り冷笑的な態度だと何かを始めるのが著しく難しくなってしまうけど、それを乗り越えて何かに手を出してみる。その結果が経済的や精神的な損失に繋がってしまったとしても、それすら「あえて」楽しむ姿勢でいられれば良いのかなぁなんて。世界なんて各々が完璧な人生を歩める制度設計になってないんだから、それくらいの姿勢でいたってバチは当たらないでしょう。

最近はそんなことを考えながら生きてます。自分が安全地帯からニヤリと空虚に笑うオブジェにだけはならないように。