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女性向け風俗キャスト兼売り専ボーイのブログ

アル中カラカラとキルケゴール、或いは死に至る病からの救済について

注 : この記事は俺がwawawa氏(→wawawa - niconico(ニコニコ))を一方的に褒める内容なので、興味のない人は読み飛ばすよろし。それとな、この記事を読んでも一気飲みはあまりするなよ。以下本文。

 

我々が自分自身や世界との関係を断ち切りながら完全に「それ自身」として生きる事は大凡不可能であり、生きている限り関係性を巡る問題というのは亡霊のように付いて回る。かつて「死に至る病とは絶望である」と宣言したのはセーレン・キルケゴールであり、「絶望(自分自身における関係性の機能不全)」からの救済とは神への信仰であると喝破した。

彼の思想全てにひれ伏そうとは思わないが、関係性から生じる苦悩こそが絶望であるという見立てには成程と膝を打った記憶がある。そんな折に俺がネットの海(主にニコニコ動画)で邂逅してしまったのがwawawa氏である。ハイボールを一気飲みする前か後に「アル中カラカラ〜」という祝詞が世界の終わりのような声で放たれる様子に圧倒され、ある種の憧憬の念を抱くと共に思った。「動画内の彼は世界から断絶してんなぁ」と。

ここでwawawa氏を簡単に紹介しよう。彼は2015年頃からニコニコ動画に動画を投稿している男性であり、その内容は主に料理を作りつつハイボールを一気飲みする、或いは外出先でハイボールを一気飲みすると言ったものだ。ぶっちゃけるとそれ以外に特筆すべき内容は無い。凝った料理を作るでもなく、技巧的な編集をする訳でも無い。しかし、彼の動画には「世界からの断絶感」と共に惹かれるものがあるのだ。どのくらい惹かれているかと言うと、朝起きた時と寝る前に彼の動画を観るくらいには惹かれている。フォウリンラブである。

百聞は一見に如かずなので動画をいくつか紹介しよう。熟成肉とほうれん草のソース煮込み。食べてみた【アル中カラカラ】 - ニコニコ動画アル中パウダー作ってみた - ニコニコ動画焼肉屋さんでアル中カラカラしてみた - ニコニコ動画

これらの動画を観て、「ウワァ汚ねーな」とか「一気飲みの動画なんてけしからん!!」とか思うかもしれない。前者については俺も最初はそうだったのだが、それが何故かクセになるのだ。また後者については、愚行権(一気飲みとかなんとか)を他人に危害を加えない範囲において行使するのは当然認められるべきなのでまぁ良いんじゃねぇのと思います。

さて、この世界には多種多様な飲酒動画があるが、彼の魅力を唯一無二にしている要因を一言で表すと「死に至る病からの救済」になるだろう。神への信仰に代わり、飲酒によって死に至る病からの救済を体現しているのだ。勿論、非常に濃いハイボールを何杯も一気飲みしているので身体へのダメージは大きいだろうし、緩やかな自殺(≒リアルに死に至る病)に見えるかもしれないが、これは全く以って救済における思想的敗北を意味しない。

そう、ハイボールを作る→飲酒→「アル中カラカラ〜」(飲酒と「アル中カラカラ〜」の順番は逆の場合有り)、とは一種の儀式であり、その一連の行為と酩酊により(自己とジョッキを除く)全ての関係性を断絶する。これは単純に酒を飲むだけでは意味を成さず、飽く迄もその一連の行為を必要とする。つまり、ハイボールを作る(≒祭壇を整える)、飲酒(≒霊性を体内に取り込む)、「アル中カラカラ〜」の発話(≒祝詞を唱える)、から成る非常にデカダンな儀式である。

世界から断絶された存在はどうなるか ー 、それは徹底して「それ自身」であり、根源的だ。つまり、キルケゴールが想定した自己の関係性における無限性/有限性/可能性/必然性等からなる絶望(=死に至る病)に絡め取られない位相に「それ自身」として揺蕩う。勿論、断絶している以上は関係性が機能不全に陥ることなど構造的に起こり得ない。正に救済である。「アル中カラカラ〜」とはキルケゴール的ドグマに対し、たった一言でカウンター放つwawawa的ドグマである。これはカッコいい。惚れちゃう。

とまぁワァワァ言うておりますが、兎にも角にも1人のファンとしてwawawa氏が令和でもその存在感を遺憾無く発揮し、健康で居てくれる事を祈っています。