ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

女性向け風俗キャスト兼売り専ボーイのブログ

「此処じゃない何処か」という病

「此処じゃない何処かへ行きたい」

はて、それについて明確に考え始めたのはいつ頃からだったか知らんと思いを巡らせている。高校生くらいまでは割と真っ当に生きていたかもしれない。いや、思い返すと小学生の時分に妖怪図鑑や月刊ムーでスクラップブックを作ったり、近所の山林にモンスターを探しに行ったりしていたので、その頃にはもう「此処じゃない何処か」に対する憧憬が芽生えていたのかもしれない。

そう言えば、小学校の理科の授業で電気について学習した時には「電気を身体に通せば何か凄い能力が芽生えるかもしれない」と思ってタコ足配線用のプラグを分解して、その金具の部分を手に持ったままコンセントに差し込んで失神しかけた事もあった。ちなみに恐ろしく痛かったし残念ながら凄い能力は開眼しなかった。

さて、そんなリテラシー皆無な少年も大学生となり、3〜4年生頃から「此処じゃない何処か」を明確に意識するようになった気がする。当時は東京の古本屋街である神保町付近に住んでいたので古今東西の書籍を安く手に入れる事が出来たし、所属していた文化論のゼミナールでは魔女のような風貌の指導教授の元で延々と議論出来る環境だったので、自分の考えを言葉にしたり常識を疑う事も学んだ。

その頃バイトをしていたコンビニの店長も風変わりな人物で、夜になるとバックルームに段ボールを敷いて寝たり、平然と酒を飲みながらレジを打ったりしていた。「そんなにお酒飲んでて大丈夫なんですか?」と訊いても「大丈夫大丈夫。それに俺が飲んでるのはウォッカだからウイスキーとか日本酒と違って匂わないんだよ。ヒヒヒ。」と笑っていた。しかし店長はお酒の匂いがしたし、店長が打った後のレジは現金の帳尻がよくズレていた。そしてバックルームには店長の友達(?)なる人物が頻繁に集って酒盛りをしており、俺も混ぜてもらっていたが未だに彼らが何者だったのかはわからない。と言うか数年前に店が潰れていて全ては闇の中である。

そんなこんなで俺の思想は20歳前後で徹底的にスクラップアンドビルドされ、「此処じゃない何処か」、まぁ有り体に言えば「ユートピア」って良いなぁと夢想する非生産的人間に成り下がった訳だ。そんなタイミングで普通に就職してしまったのがマズかったのかもしれない。就職先の役所では人間関係は良かったものの、息苦しさが次第に勝つようになっていった。「議論はするが、その前提についての議論はダメ」とか「空気や雰囲気を重んじる」等々、「此処じゃない何処か」について考えるのが好きな俺にとっては悪い意味でのダルい日々が続いていった。

物理的に無理であっても精神的に「此処じゃない何処か」へ行かないと発狂してしまうと思った俺はビートニクやヒッピー、デカダンスの諸先輩方に習って色々と試してみることにした。

マリ◯ンが良いと聞けば麻の実を買ってきたし、ペヨ◯テは色々観れると聞けば輸入したし、ブ◯ンやリ◯カはチルアウト系と聞けばドラッグストアにも行った。オランダのアムステルダムは法的にアツいとも噂で聞いたので適当に理由をでっち上げて現地に訪れた。

幾つかは効いたし、幾つかはダメだった。それに、一時的な逃避が可能なだけで根本的な解決策にはなり得ない事も学んだ。それでも「此処じゃない何処か」を求めずにはいられなかった。何と言うか、一種の病なのかもしれない。

精神世界に継続的なユートピアを求めることは恐らく難しいと悟った俺は、現実世界でなんとか実現出来ないか知らんと思うようになった。勿論だが完璧な回答は無いし、有ったらとっくに試している。そしてそもそも「ユートピア(理想郷)」は現実世界には存在しないからユートピア命名されている訳で、「現実世界で(ユートピアを)実現する」という表現は矛盾している。

閑話休題

暫定的な案としては、「世界の仕組みに敢えて乗ること」で、目下お試し中である。仕組みに「従う」ではなく「敢えて乗る」点が重要で、飽くまでも自分は自由でありいつでも半旗を翻せる存在である事を意識するのが肝要と思っている。

世界なんて一朝一夕で変わるもんでもないし、都合の良い革命が起こる可能性も極めて低い。であれば、その世界の中でトリックスター然として行動すれば世界への眼差しが変わってくるのではと目論んでいるのだ。数年も経てば考え方も変わるのだろうけど、今現在はこんな事を考えている。

「此処じゃない何処か」に囚われた人間として。