ぢるぢるだいありーずおぶざでっど

女性向け風俗キャスト兼売り専ボーイのブログ

風俗の従業員を「セラピスト」と呼ぶ事の違和感について

女性向け風俗業界って、所属する従業員を「セラピスト」って表現するケースが多いじゃないですか。勿論その呼称を用いる事自体は違法ではいので御仁方々が勝手に使用すればよろしいと思うのですが、この業界に入った当初から「セラピスト」という単語に何処か違和感があったんですよ。

初めの頃は「なんかモヤっとするなぁ」くらいにしか考えてなかったのですが、ここ最近になってそのモヤモヤの理由が少し言語化できたので、ここに書いていこうと思います。

本題に入る前に一応名言しておきますが、これは単純に俺のイデオロギーの表明であって、さらに「セラピストと名乗るな」と言ってる訳ではないのでそこんとこよろしくお願いします。現代ネット社会に跳梁跋扈する、感情的な批判で鬼の首を取ったような態度を取るリベラル自警団的な輩は近日中に豚に食われると思います。

さて、先ずは「セラピスト」の辞書的な意味を調べてみると下記のような結果になりました。

セラピスト→社会復帰のための療法を専門に行う人。療法士。治療士。(出典:三省堂 大辞林 第3版)

ついでに「療法」と「治療」についても調べてみました。(出典は上記と同じ)

療法→病気のなおし方。治療の方法。 

治療→病気をなおすこと。治療。 

これから分かる通り、本来「セラピスト」とは特定の症状や状態からの治療者や救済者的なイメージを包摂する単語になっています。ここまでは辞書を引けば誰でも到達出来るし、特段の異論も無いかと思います。

ここからが本題なのですが、俺はこの「セラピスト」という単語を風俗店の従業員に当てはめる事には明確に違和感があるんです。繰り返しますが、これは俺の風俗に対するイデオロギーから導き出される答えなので、誰かに押し付けたり、何かをこき下ろしたい主張ではないからな。横浜家系ラーメンか二郎系ラーメンのどっちが好きか議論と同じくらいの地平に立ってると思ってください。ちなみに俺はトムヤムクンヌードルが好きです。さて、外堀をしっかりと埋めたところでその理由について書こうと思いますが、大きく分けると以下の2つになります。

性風俗業界は性的欲求を一時的に満たしたり、非日常を楽しむ場だと思っているから。

②「セラピスト」という単語が持つ治療的、救済的なイメージを求めて来たお客さんとのミスマッチが生む悲劇を避けたいから。

先ずは①についてです。

俺は風俗業界ってエンタメみたいなもんで、性欲を満たしたり、従業員との非日常的な空間を楽しんだりする事が先ず一義的に有ると思ってます。勿論そこには、頭では理解しているけれども割り切れない感情や罪悪感、金銭を介在させる後ろめたさ等々の様々な心の動きがあるでしょう。でも、それらを割り切れないまま心に内包して楽しむ様は正に「粋」だなぁと思うのです。

相手は1人の人間なので、全てを完璧に割り切って綺麗さっぱり遊ぶってのは場合によっては難しい事が多いかもしれません。言葉で「割り切る」と言うのは簡単ですが、実際にはそう簡単でない事は俺も分かります。それでも、その割り切れなさ等の不確定な感情と向き合いながら楽しむのが風俗だと思ってます。玉虫色の解答なんて無いでしょう。

と、まぁ俺は風俗をそんな感じで捉えているので、そこの従業員を「セラピスト」と呼ぶのには違和感があるんですよ。

だって風俗の本質はセラピーじゃないと思ってるから。臨床心理士とか理学療法士をセラピストって呼ぶのは理にかなってると思いますよ。それらは明確に治療や社会復帰に携わる分野なので、腹落ちします。ですが、風俗の従業員を「セラピスト」と呼ぶのは流石に言葉の意味を拡大解釈し過ぎだし、次の理由で書くミスマッチの根源になってしまうと思います。

次に②についてです。

風俗の本質はセラピーではないと書きましたが、副次的にセラピー的な要素がある事や、その側面を求めて利用する人も全く否定しません。実際に、「男性が苦手だったけど少し受け入れられるようになった」とか「性に対してネガティブなイメージを持ってたけど、考え方が変わった」等の嬉しい感想をいただく場面も多いです。

ですが、それは専門的な知識や手法に基づいた結果ではないので、俺との相性がたまたま良かっただけだと考えられます。本当にそれ以上でもそれ以下でもないんです。

それにも関わらず、例えば女性向け風俗業界がセラピー的な側面を匂わせて集客をしていったらどうなるかって火を見るよりも明らかじゃないですか?

それは「救われたかったけど救われなかった人」が続出する結果になるんですよ。風俗の従業員は治療の専門家ではないので、結果的に人を救う事はあっても、それを目的に接客する事はほぼ不可能だと思います。医療系の本業と掛け持ちしてる人は別かもしれませんが。

「楽しみたかったけど楽しめなかった人」に対しては謝罪や返金で対応は出来るでしょうし、そもそもお客さん側も「期待外れだったけどまぁしょうがないか」くらいで済ますかもしれません。ですが、「救われたかったけど救われなかった人」に対しては謝罪や返金では埋め合わせなんか出来ない訳ですよ。

そもそも、「楽しめなかった」と「救われなかった」の間には天と地ほどの差が鎮座していて、俺は正直言って後者の状態に陥った人にかけるべき言葉を持っていないです。業界やら店やらが高尚で素晴らしいセラピー的な大風呂敷を広げるのは勝手だと思うけど、救われなかった人達の人生に対して責任なんて取り切れないでしょう。

だったら最初からセラピー的な雰囲気ではなく広い意味でのエンタメ方向に舵を切っておけば、従業員とお客さんの「救われなかった」的な悲劇的なミスマッチは減ると思います。そういった観点からも、従業員を「セラピスト」と呼ぶ事には違和感があります。

まぁ長々と講釈垂れてますが、俺は早い話が風俗の本質はセラピーではなくエンタメだと思っていて、であれば従業員の呼称は「セラピスト」ではなく「キャスト」とかの方がお客さんとのミスマッチは減るし、そもそもセラピーの枠外である風俗店の従業員を「セラピスト」と呼ぶのは物事の本質を覆い隠して印象だけ良くする欺瞞じゃねぇのと感じてしまう訳です。

そんな感じの理由で、俺は風俗店の従業員を「セラピスト」と呼ぶ事に違和感があるんだぜって話です。

この主張には反対意見や気分を害する人も居ると思いますが、戦後日本から受け継がれた言論の自由のもとで俺の意見を書いてます。なので逆に批判や反対意見は聞きますし、議論する事も吝かではありません。

長々とした文章を読んでくださって有難う御座いました。アデュー。